幼児衣装で絵画封印
2.
後悔した時にはもう遅かった。
旧校舎へと向かう道の途中。幼馴染の女の子は、ガイコツの顔をした悪霊にさらわれ、気絶するイサミ。
まさにあっという間の出来事で……気を失っていた時間は、イサミにはわからない。
だが、目が覚めた時にはもうすでに日は落ちていて、噂が本当であれば残された時間は少ない。誰の助けも借りられず、かといって幼馴染を見捨てるわけにもいかない。
イサミは単身悪霊を追いかけて、旧校舎の中に入った。
時間かかったものの図工室を見つけると、様子をうかがいながら、自分が今できることを模索する。
「美しい……」
男とも、女とも知れない声が聞こえてきた。
悪霊は今まさに幼馴染をモデルに絵をかいている。その筆に迷いはなく、確実に絵は完成へと近づいていた。
「いい肢体だ。若く、瑞々しく、いまだ穢れを知らない」
イサミが図工室に忍び込んだことにも気づかないまま、悪霊は恍惚とした様子だった。
幼馴染は今まで見たことがないほどの豪奢なドレスを着ていて、髪型もまた祝賀会を思わせるように美しく着飾っている。
しかし、見惚れている時間はイサミには全くない。
首にまかれているのは真珠のネックレスではなく、首吊り用のロープ。両手は後ろ手に縛られたまま、足元にはやはり首吊り用の踏み台。橋の欄干よりもなお細くて、当然ながら足を踏み外せば首吊り自殺の態勢。よりいっそう恐ろしさが増す。
(これじゃあ、迂闊に助けられない……)
普段どれだけカッコつけていても、その場にいたのはか弱い女の子にしかみえなかった。
イサミは物陰を利用して、なんとか幼馴染の方へ近寄った
そして今更ながら後悔した。
この悪霊に比べれば今まで自分が退治した悪霊なんて中学生の不良みたいなもの。かつてない勢いでかけまわってくる危機感に、全身が総毛立ち、血が凍り付く。戦慄するという言葉にふさわしい、まさに命を懸けないといけない恐怖やプレッシャーで息苦しい。
「君は、運がいい」
底のない双窩が、なおも幼馴染をとらえて離さない。
「生きることなんてつまらないもの。美しいのはほんのひととき、あとは朽ちて崩れていく」
まもなくして、絵が完成してしまう。
自分の大切な人が絵の中に閉じ込められてしまう。
悪霊の語りはまるでカウントダウンのようで、イサミを孤独に焦らせた。
「だが、この天才の手によって、君の美しさは永遠に残る」
「へんたい」
そのとき、幼馴染はたった4文字の言葉に想いを込めた。
彼女の瞳はまだあきらめていない。
「……面白い。今まで絵にしてきた女は、みなわたしを見て怯えるばかりだった。気が強い女というのも、タマには悪くない」
悪霊は余興として楽しんでいる
そうして、はじめて筆を止めた。
「それとも、あの小さなお友達のことを信頼しているのか?……だが、もうあと一筆で絵は完成してしま嘘。あと一筆で、君もわたしのコレクションに加わるのだ」
一度は止めた筆がまた、絵に向かう――
(やばい!間に合わない!)
冷たい汗が頬を伝った。
反射的に、身を起こし飛び出そうとするイサミ。
――だが、筆が、キャンパスに色を付けるより一瞬早く、再び幼馴染が口を開いた。
「そうやって、いったい何人の女の子を犠牲にしてきたのよ」
「犠牲だと?」
悪霊は、また手を止める。
今度は筆を置いて席を立った。
「ふはっ、ふははははっ、犠牲?それは違う。絵の中の彼女たちは、今頃このわたしに感謝しているだろう。若く美しい身体をそのまま永遠に残すことができるのだからな……しかし、そうだ、どうせ誰にもここにはこない。きみに、わたしのコレクションの一部を紹介してやろう」
すると悪霊は移動し、どこからか額に入った絵を取り出してくる。
イサミは再び頭を引っ込めて、その隙に考える時間ができた。
彼が安堵して息を飲み込むと、また不気味な笑い声がこだまする。
「これを見ろ」
そこには、小学生くらいの女の子が描かれている。
「彼女は私のコレクションのなかでも特別でね」
三つ編みで、まだ垢抜けてすらいないが、他の絵たちとは違ってサイズの合わない幼稚な衣装を着せられている。それはとても破廉恥で、見るものも目をそむけたくなるほど恥ずかしくて、同性である幼馴染にはなおさら刺激が強い。
「いやらしい」
幼馴染は吐き捨て、そう評した。
「ははは、その通り。あえて、いやらしく描いた。だが、これは彼女がいけないのだよ」
悪霊は言った。
その手が絵の女の子をなぞると、赤らんだその子の表情がなお一層赤く恥じらった気がした。
「この子がまだ、絵にされる前の話だ。子供とはいえ、母親に似て正義感が強く、わたしにさらわれた友達を助けるため、ここへやってきた――」
それは奇しくも、イサミと重なる。
「そして、一度はわたしを封印することにも成功した。彼女にはそういう力があったのだよ。悪霊を払う、強い力が」
「……?」
話の途中、何かが聞こえた気がした。
それは気のせいなどではなく、幼馴染にも聞こえ、不審そうに周囲をうかがっていた。
「だが、見ての通りわたしはこうして蘇り、今度はお友達ともども彼女のわたしのコレクションにしてやった。その場で殺してやってもよかったんだがね、ふふふふふふ。わたしは優しいから」
ヒーローだったかもしれない、名前も知らない、きっと生まれた時代も違う女の子。
その顔を見ていると、涙があふれるほどの悔しさが伝わってくる。
この恥ずかしい姿をそのまま絵に描かれて、永遠、死ぬこともできないままコレクションとして生きる。
イサミは生唾を飲み込んだ。
「ほら、耳をすませば聞こえてくるだろう。『彼女』のすすりなく声が……」
イサミは、音の正体を理解した。そして、自分と重なることの多い彼女に胸を痛めた。
絵を正面から見せられた幼馴染は、青を通り越して白い顔を浮かべていた。
「なまじ力をもって生まれてしまったからなのかわたしにはわからないが、彼女は今でも時々こうしてしゃべるのことができるのだ」
悪霊は丁寧に解説する。
「ただ、これでも絵にされた当初はな、わたしに対してももっと反抗的な声も出せたものだがね。くくく、しかし昼の間、人の目に晒されているうちにどんどん弱くなっていった」
まだ、泣き声が聞こえる。
イサミは耳を閉じたい気持ちをなんとか堪えていた。
「ゴメンナサイ、ココカラダシテ、ダシテ、ダシテと……今ではもう泣くことしかできないみたいだがね」
――吐き気がする。 悪霊だからでなく、その悪霊が持っている狂気に。
「さあ」
幼馴染の髪をそっと救うその手に人間らしさがあるものの、イサミたちとは違う。
「きみは」
きっと悪霊の目はもっと違うものを見ている。
悪霊になるもっと前から、人を人として見れなくなってしまったのだろう。
「きみは、いったいどのくらいで彼女の様になるのかな?」
「……っ、っ、う」
それきり。
吸っても吸っても、幼馴染は息をうまく吸えていないみたいで、何も言えなくなった。
イサミも幼馴染がそこにいなければ恐怖ですくみ上っていたに違いない。
自分が当たり前だと思っていた明日とそのまた明日、さらにその次の日が、悪霊の話によって真っ黒に塗りつぶされていく。
そんな中、幼馴染のつぶやきは、確かにイサミの耳に聞こえた。
「……イ、サミ」
――いよいよ自分がいかなくてはならない、イサミの決意は恐怖を打ち消し、最高潮に満たされた。
「ふふふ、どうやら少ししゃべりすぎてしまったかな?さあ、もういいだろう、ここまでだ――」
「い、いまだっ!――っ!」
わずかなスキを見つけて、イサミは緊張した身体を覚醒させる。
幼馴染の名前を呼び、近くにあった『ラッカーシンナー』の瓶−−絵具を薄めるための道具を投げつけた。
「くらえ、悪霊!」
「なんだおまえはっ、ぐわああぁぁぁぁあぁっあああああああああああっっっっ!」
完全に不意を突いかれた悪霊は悲鳴を上げて倒れ、バランスを崩した際に図工室の石膏像や模型やイーゼルなどが彼の身体にのしかかった。
「やった、うまくいった」
倒せたとは思っていない。
だが、逃げられる。
希望が湧く。
イサミは駆け出し、滑り込み、小さな体ながら抱きかかえるようにして、幼馴染を首吊り台から下ろした。
「大丈夫!?」
「遅い!」
「え?」
助けたばかりの幼馴染は、意外にもまだ元気で、
「遅すぎる!い、いったいどれだけ待ったと思っているんだ!」
「いや、でも!」
助けたお礼にかえってきたのは熱い抱擁などではなく、厳しい罵声だった。
「うっさい、言い訳するな!あたし、もう少しで、もう少しで……な、泣いちゃうところだったんだぞ」
「それは……ごめん。でも、今はそんなこと言っている場合じゃ」
「だからうっさいっての、あんた!目の前にいるんだから、いちいち大きい声ださなくてもきこえてるわよっ!」
「た、助けてきたのに、なんで怒ってんのさ!」
「はいはいアリガトウゴザイマシタ!これでいい、満足?――じゃあ、さっさと、逃げるわよ!」
「そ、それっ、ぼくのセリフなんですけど!」
ほかにいくらでも言いたいことはあるのに、怒号が飛び交う、
イサミも、幼馴染も、お互いにひどい顔をしていて、再会できた歓びと、いまだ残る恐怖でわけがわからなくなっている。わけがわからなくなっている上に、声や言葉ではもうお互い信じられなくなって、その身体の存在を確かめ合うように身を寄せた。
「このドレス、邪魔!」
「急いで!」
「わかってるっつーの!」
苛立ちと焦りで、豪華なドレスを破る幼馴染。
勢いよくバランスを崩した幼馴染を、イサミは今度こそしっかりと手を伸ばして支えた。
そのまま手をつなぐことに、幼馴染はやぶさかではない。
家に帰ればつけば、幼馴染から100ほどある愚痴を聞かされることになるだろう。
(選択肢)
逃げ出すことに失敗する
うまく逃げだす