幼児衣装で絵画封印




               3.

「まて」

 しかし、そこへ低い声が響く

「きみたちには、これが見えないのか?」

 イサミたちは足を止めてしまった。

「失敗したな……」

 見なければよかった。
 後悔してももう遅い。

「助けるのであれば、彼女の身体ではなく、こちらだったな……」

 そして、耳を貸さなければよかった。

「……っ!」

 イサミの目に、幼馴染の絵が映る。
 悪霊が持つ筆、そして悪霊が描いた絵。すでにあと一歩のとこまで完成されていて――
 
「今、完成した」

 言葉をかわす時間さえない。イサミは無意識のうちに、幼馴染の手を握り締めていた。

「イサミ!」

 幼馴染は驚きの表情で、しかしその顔が徐々に粒子となって消えていく。

「う、うそだ……!」

 握り締めたはずの手もまた空を掴んでしまって

「いやあああぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁああああああああ――!」

 悲鳴さえかき消され、希望は潰え、彼女の涙も残らない。イサミは幼馴染の残滓ともいうべき光の粒子を掴もうとするも虚しく、悪霊が持つ絵の中に吸い込まれていく。
 頭で考えるよりも心で、イサミは理解してしまった――もう、煮度と彼女には逢えないんだと。
 悪霊の低い声がまた、響く。

「ふはははははははっ、ふはははははっ」

 そして、イサミが最後にできることは、かつてない怒りが、かつてない哀しみに消されてしまうまで、力の限り拳を振るうことだけだった。そこに策なんてものはない。

「うわぁぁぁぁあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁああ!」

 実体を持った悪霊に飛び掛かり、幼馴染の絵画を床に落とさせる。

「返せ、ぼくの幼馴染を、返せぇえええええええ!」

「ふははははっ、はははははっははは」

「笑うなぁ!わら、わらうなぁ!」

 悪霊の顔はガイコツの形。表情などないのだが、イサミは餓狼のように吠えた。
 一発、二発と、彼女のために何度も拳を振るう。鈍い音が響くも、イサミの耳には幼馴染の悲鳴がいつまでも残っていた。
 勝てるはずのないその戦い。
 やがて、一瞬で終わった。






 ズルズル、ズルズル

 何か重いものが引きずられる音。

 ズルズル、ズルズル
 
 それは力尽きたイサミが引きずられる音

 ズルズル、ズルズル、ズルズル、ズルズル

 不気味なほど静まり返った、旧校舎の廊下にて。
 悪霊が、イサミの足をもって前向きに歩く。

 ズルズル、ズルズル

 並んだ窓の外は黒一色……物の影すら映らない。
 憐れなイサミは仰向けのまま引きずられ、前髪はまくれあがり無防備な顔。両手さえ無防備に投げ出して、起きる気配はない。

「ふはははははは、ふははははっはははははは……」
 
 絶望を彩るかのように、悪霊の低い声が響き渡る。

 ズリズリ、ズリズリ

 それ以外に、動くものはいない。
 ゆっくり、ゆっくり、歩き、引きずられていく

「……………………」

 イサミに意識はなかった。
 苦しそうな顔を浮かべながら、深淵へと向かう旅路はもう誰にも留めることはできない。

 ズルズル、ズルズル

 悪霊と、イサミが、進む先には扉があった。

 ズルズル、ズルズル

 音もなく扉は開くと、乾ききった風がイサムの身体を通り過ぎる。
 
 ズルズル、ズルズル
 
 ゆっくり、ゆっくり、悪霊の身体は扉の向こう側に消えていく

 ゆっくり、ゆっくり、引きずられたイサムの身体も飲み込まれている。

 完全なる静寂とともに、扉はまた閉まりかけた。

「う、うう……」

 と、イサミの声。
 消えたと思った扉の向こう側から、聞こえてくる

「う、うううぅ、ううう」

 イサミは床を這って、最初に右手、つぎに左手、そして顔を出す。
 最後の力を振り絞り、なんとか上半身だけを――だがしかし、

「どこへいく?」

「ああ――!」

 何かに足を掴まれ、ガクン、とイサミの身体がブレる。
 負けじと抵抗するものの、悪霊の方が圧倒的であり、すぐにまた扉の中へと引きずりこまれた。

 ズルズルズルズルズル

「あ、あああああ、あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 悲鳴のような声。
 懸命に手を伸ばすもそれはどこにも届かず、時を置かずしてかき消えた。

「ふははははは、ふははははははは―――」

 悪霊の笑い声がどこまでも低く、響き渡る。
 その扉はゆっくりギィと古びた音をたてながら、そして誰にも知られることなく固く閉ざされるのだった。


続き