幼児衣装で絵画封印




               1.

 前を歩く幼馴染は、カッコイイ。
 スラリと背が高く、頭もよく、竹を割ったかのような明るい女の子。
 今はスカートを履いていることなど気にも止めず、橋の欄干の上を悠々と歩く遊びをしている。いくら言ってもやめる気配はなく、むしろフラフラと故意に身体を傾けたりして、人をからかうのが好きな女の子。
 悔しいけれども、イサミはそんな年下の彼女に恋心を抱いていた。

「聞いたところによるとね、隣町の小学校に、悪霊が出るって噂の旧校舎があるんだ」

 幼馴染はイサミの方を振り返ることはなく、自分が歩いている足元だけを見て話す。 

「なんでも昔そこの図工室でね、自殺した美術教師がいたみたいでさ、死んだあとも自分の絵のモデルにするための女の子を、攫いに出るんだって」

 それだけならどこにでもあるような怪談。
 しかし、イサミはすでに嫌な予感しかしない。

「モデルにされた女の子は、悪霊が描いている絵が完成すると、その場で魂を絵の中に吸い込まれちゃうらしいの。そしたらもう二度とこっちの世界に戻れないんだってさ。それで、その図工室には今も犠牲になった女の子の絵が飾られているんだとか……ねえ、ちょっと興味湧いてこない?」

「いや、ぜんぜん」

 イサミは言った。

「うそーん」

 彼女はおどけた口調で返した。
 カッコイイ系のイサミの幼馴染は昔から、デートスポットや甘味処といったものに興味がなく、そのかわりにUFOやお化けといったオカルトにどっぷり。
 呆れながらもイサミは、幼馴染の続く言葉を容易に想像することができた。

「まさか一緒に行こうなんていわないよね?」

「え?まさか、行かないなんて言わないよね?」

 すると次の瞬間

「――うわぁ」

「あっ、危ない!」

「おぉっと、大丈夫大丈夫、ちょっと危なかったけど」

「はあ……」

 話の途中。
 一瞬バランスを崩す幼馴染だったが、イサミがその手をとる寸前に身を翻し、ほれぼれするような動きで身体を立て直す。
 イサミは責めるような目で睨んだ。

「まったく。どうしてキミはまた、わざわざ自分から危ないことに首を突っ込もうとするんだよ?今だって、一歩間違えたらケガじゃすまないんだぞ」

「しょうがないじゃん。友達とももう約束したんだし。幽霊の正体を暴いて見せるって」

「そんな思い付きばかりで行動して」

 しかし、どれだけイサミがいっても相変わらず幼馴染は無敵だった。そして何事もなかったかのように欄干の上を歩く。

「頭かったいわねぇ、あんた。危ないからなんて言って、やりたいこともできなくなるなんてわたしはイヤ。人生はさ、意外に短いんだから、もっと大胆に生きなくっちゃいろいろソンしちゃうから」

「またそんなことばっかり言って……」

 たしかに幼馴染の言うことにも、一理はあることもわかっている。
 ――人生は短いから。
 だから、幼馴染に対して淡い恋心を抱いているイサミとしては、カビ臭い夜の旧校舎の中を恐る恐る探索するよりも、もっと日の当たる場所で健全に青春を謳歌したい。
 たとえ彼の見た目が小学生と変わらなくとも。
 童顔で女の子みたいだと言われても。
 幼馴染と並ぶと姉弟みたいだと散々笑われるようになった今でも、イサミの心は間違いなく善良な男の子。好きな人のことを、過保護なくらい心配するのは決しておかしいことではないハズだ。

「いつか本当に取り返しのつかないことになってからじゃ遅いんだよ?」

 イサミは彼女の提案など無視しようとして、その場を過ぎ去ろうとする。すると、背後で着地する音が聞こえてきた。

「ツレないこと言っちゃって、どーせ最後は助けてくれるんでしょ?前回も、その前だってそうじゃない?」

「あれは……」

「悪霊退治。あんた……その道のプロなんでしょ?あんなことができるのなら、怖いものなんてないじゃん」

「プロっていうわけじゃ……」

 ――イサミには、不思議な力がある
 幽霊に抵抗すための力。
 一生その力を使う機会などあるわけないと思ったのだけれども、ひょんなことから幼馴染にバレてしまった。
 ふと横目で覗き見ると、もうすでにイサミよりもかなり背の高い年下の幼馴染が、頼もしそうにこちらを見つめていた。
 そして頼りにされているということは、言わずもがな悪くない気分になる。

「あんなの漫画の世界だけかと思ってたし、たしかお祖母ちゃんが有名な霊能力者だったんでしょう?」

 実際には清めの塩をまいた程度。
 イサミに力があると言っても脆弱なもので、しかし幼馴染の中でのイサミ像が大きくなっているのがわかる。過去の活躍を思い出して、彼女の声は興奮を強めていた。

「あんなのただ婆さんの真似しただけだ」

「それでもカッコよかったよ、うん」

「……」

 そこでイサミは心を引き締め、神妙な顔つきに戻る。
 やはり彼女は何も理解していない。
 理解していないゆえに恐ろしい。
 ミーアキャットのように目を開き、心身ともに無防備な幼馴染のことを見ていると、このままどこか遠くへて行ってしまいそうな……そんな危うさを覚えた。

「今までのは運が良かっただけなんだよ」

 何度言っても謙遜にしか聞こえないらしく、幼馴染はヘラヘラ笑っていた。

「本当だよ。あまり強くない幽霊ばっかりで、それでもギリギリなんとか除霊できたってだけなのに……」

 なまじ半端な力をもってしまったばかりに、イサミは人ではないものの恐ろしさを知っている。知っているだけでなく、理解している。

「世の中にはキミが知らないだけで、本当にヤバイやつなんていくらでもいるわけで、そんなやつらがでたらとても俺なんかじゃ」

「んー、じゃあ、その時は教えてよ」

「はあ?」

 幼馴染の言葉は空気よりも軽い。

「あんたには、そういうヤバいのがわかる。でもわたしにはわからない。だったらやっぱりわたしと一緒にくるしかないでしょ?ねえ、ホントにヤバそうだったらすぐに引き返すからさぁ、ちょっとだけ付き合ってよ。ちょっとだけでいいからさ」

「近くに行くのだってダメだって」

 距離を置こうとするイサミを追いかけるみたいに、幼馴染は顔を寄せてきて、イサミの小さな体はすっぽりと彼女の影の中に入り込む。
 太陽の代わりに見える彼女の悪戯な顔は、直視できないほど素敵で、それがまたイサミの心を緩ませる。
 そうして5分ほど押し問答が続き、

「あーもう、めんどくさい。あれもダメ、これもダメって……あんたはわたしのお母さんか?」

 突然幼馴染は怒った。

「男でしょ? 男だったら女のわたしが行きたいって言っているんだから、一度くらい『ぼくが守ってあげるよ』くらいいってみなさいよ」

「そ、それは……」

 続く言葉が出ないイサミに、幼馴染は痺れを切らして肩を叩いてきた。

「これでもあんたのこと、頼りにしているんだからさ。自信持ちなさいよ。大丈夫だって、これが最後にするから」

 それがウソであることはわかっていた。
 けれども、イサミは幼馴染のことを信じたい。

「……。ほんとうに、約束だからね」

「うん」

 イサミはそこで折れた。いつものように。

「ヤバかったら、絶対に、すぐ逃げるんだからね……ぼくがいつも助けてくれるなんて、思っちゃいけないんだからねっ」

「わかってるって」

 交渉成立と同時に、悲しいまでにハイタッチの音が響いた。
 いつまでたってもはっきりノーといえない自分が情けない。なにより友達以上恋人未満という関係がもどかしい。先ほどまで広がっていた青空にも今、暗雲が立ちこみ始めた。


続き