妖精がいる世界 3.赤か、クロか 前編





 ―― この国でギャンブルは、紳士淑女の嗜みの一つに数えられている。


 選択肢は二つに一つ、『赤』か、『黒』か。
 その昔ワルガキだった頃、近所に住んでいたお姉ちゃんの下着の色を当てるクイズがそのまま、大人になった今でも続けられている。
 青い性欲はお金に変わり、しかし大きくなったのは頭と心だけで身体はあの頃のまま。
 思い描いていた理想と現実のギャップの分だけ、その男の借金は膨らんでいた。

 カジノ場。 ディーラーが流麗な動作でボールを投げ入れる。
 カラカラと音を立てて回るルーレット。
 テーブルにつく小柄な男が、その成り行きを見つめている。
 それは少女と見間違うほどの繊細な身体で、ツンっと澄ました顎を突き上げて、甘く指先を噛んでいる。
 カジノの煌びやかな世界に飲み込まれることなく、真っ直ぐに見据えられた切れ長の大きな瞳。 泰然たる顔立ち。 墨を流したような黒髪は流麗で、花の蕾にも似た唇が微かに震えると、控えめな吐息がこぼれていた。
 そして、ルーレット上を回るボールは、やがて赤のポケットに転がり落ちた。

「―― 『赤』、25番」

 カジノのディーラーが確定を宣告すると、歓喜と落胆の声が広がる。
 予想を外した男アキラは、目の前にあるチップが没収されても別段顔色を変えず、ただつまらなそうに最後の水を飲みほした。

「・・・・・・ ありがとう、楽しかった」

 アキラはツキの変わり目を悟り、ディーラーに“チップ”を贈り、静かに席を後にする。
 背後では、慇懃すぎるディーラーが深々と頭を下げていた。




 父親の会社が多額の負債を背負って倒産したのが、一年ほど前のこと。
 状況は依然最悪だった。
 貯蓄だけでなく、自宅や家財を売り払っても完済することができず、今なお借金取りに付きまとわれていた。
 ギャンブラーとしてのアキラは優秀なスコアラーではあったが、派手な散財もしなければ、一攫千金を狙うこともない。堅実で、つまらないギャンブルをする男だと称されている。
 しかし、目標とする金額を手に入れるためには、どこかで一つ大きな勝負をしなければならないことを、アキラが一番よくわかっている。 ただそれは、失敗すれば自身の身の破滅を招きかねない危険な賭け。 迂闊な挑戦はできない。
 ついたため息はもう、数えきれない・・・・・・ あっという間に家についた。

「お帰りなさい、アキラくん・・・・・・ どうしたの? 今日は、あまり、上手くいかなかった?」

 自宅の扉を開く、可憐な声。
 月の光よりも優しい恋人の笑顔が、アキラを出迎えてくれる。 ちょうど夕ご飯の準備をしていたのか、エプロン姿で鍋をかき回している最中だった。

「うん、まあね・・・・・・」

「そっか、それは残念だったね」

「・・・・・・」

 それ以上は聞かない恋人に、アキラは言う。

「少しは怒ってもいいんだぞ?」

「怒る? どうして?」
 
 恋人はキョトンと目を瞬かせていた。

「キミが家にいるのに、俺は毎日懲りもせずカジノに入り浸っている。 それって、最低な男だと思わないか?」

「別にわたしは気にならないですよ。 今はとにかくお金が必要なのも知っているし、なにより、アキラくんは無茶なことは絶対しないでしょ? そういうところ、信用しているの、わたし」

「そうか・・・・・・」

 出逢ってからもう二か月、付き合いだして早一か月・・・・・・ 彼女はアキラをよく理解し、一番うれしい言葉を用意してくれている。
 黒く、長い髪をした可愛らしい恋人は、年齢こそアキラよりも下らしいが、それを感じさせない大人びた雰囲気と豊満な胸を持ち合わせていた。 灰色だった彼の毎日に、鮮やかな色を付け足せば、温かいスープと小粋なジョークを届けてくれていた。

「だから、ほら、ね? そんなしょげた顔しないで。 ねっ、オトコのコはね、笑った顔が一番なんですから」

 あえて間違った言い方をしてくる恋人に、ようやくアキラは笑った。

「それを言うのなら男の子ではなく女の子だろ」

「可愛いっていう意味なら、どっちも同じでしょ? だってアキラくんと女の子って全然見分けがつかないんだもの」

「こいつめ」

 じゃれあうようにして部屋の中で小さな追いかけっこを行う。壁板が薄く、あまりに暴れると下の階に住む大家を怒らせてしまうことにもなるが、そうなる前に恋人を捕まえて後ろから羽交い絞めにした。

「―― メグル」

 アキラは、その恋人の名を呼んだ。
 少し息が荒いのは、走ったからではない。

「はい、なんでしょう?」

「いつも、色々と苦労をかけて、すまない。 でもこのカリは必ず返すから、必ず・・・・・・ そしたら、あー、君さえよかったらんだけど――

 ―― 俺と一緒にならないか。
 そう言いかけて、アキラは口をつぐんだ。

「いや、やっぱりなんでもない、忘れてくれ」

 急な臆病風に吹かれて、そのままぷいっと顔を背けてしまった。顔立ちが幼いせいかなおさら子供のように見え、アキラの実年齢を5つは下げる。

「うふふ、変なアキラくん」

 そんなアキラを見て、おかしそうに微笑むメグルはきっと、彼の想いのすべてをきっと理解している。 嬉しそうに自分の二の腕を抱きしめて、豊満な胸を絞り出す。
 なぜなら彼女は――





「メンタリスト?」

「えぇ、まあ、そう呼ばれることもありますね」

 冗談めかしてメグルは胸をはる。 馴染のない言葉を聞きながら、アキラはぴくんと片眉を跳ねあがらせた。
 話しの最中、今二人はカードゲームをしている。
 シンプルなルールだ。
 ○・十・△・☆・×が描かれた5枚のカードを、アキラがテーブルの上に伏せて並べていく。 どのデザインのカードがどこに配置されているのか、知っているのはアキラだけだが、 それをメグルが答えを知らずに当てていくというもの
 基本的に質問やブラフは認められているが、メグルはアキラをニコニコとよく観察しながら、一枚ずつ答えを言ってからカードをめくっていった。

「これは、☆のカードね」

「お、また正解」

「それから、こっちは△のカードでしょ」

「正解・・・・・・」

「最後に残ったこれは、×のカード」

「ふーん」

 これで20回連続して的中。 アキラにはその仕組みがまるで理解できない。

「ポーカーフェイスには自信があったんだけどな・・・・・・ なぜ、わかる?」

「別に表情だけを見ているわけじゃないんですよ。 たとえば会話の中の一瞬の息継ぎだったり、眼球の動きだったり、身体の姿勢、顎の角度、そういうのはなかなか自分では制御できないもので、そういうところから段々と答えを精査していくんです」

 アキラは今までの自分の振る舞いを細かく思い出したが、それでもやはりわからない。 経験だけでなく、ある特殊な才能も必要なのだろう。

「スゴイな、びっくりした・・・・・・」

 アキラは素直に感心していた。

「いいえ、ちょっとした手品みたいなものですし、使えるのはとても限定的な場面だけです」

「だとしてもこれだけできるのなら大したものだよ。 君はきっと、人間が好き、なんだろうね」

「・・・・・・。 ええ、もちろん。 特に、可愛い男の子は大好きですよ」

 メグルがたおやかに声をかけて、二人の間を熱っぽい視線が行き交う。
 夜も更け、腹も満たされ、訪れる沈黙。 しかし全く嫌な感じはせずに、むしろ心地よく時間の流れが緩慢となる。 どちらからともなく歩み寄って、お互いに照れくさそうに微笑み、そしてアキラよりも先にメグルが手を握ってきた。

「レクリエーションはここまでにして、そろそろはじめませんか? アキラ、ちゃん」

 メグルが口調を変えてアキラのことを呼ぶ。
 それでアキラは思いだした。

「うっ、な、なんのことだ?」

「あれ、あれあれあれ、まさかぁ、とぼけるんですか? カードを20回連続で当てたららぁ、今夜はわたし“仔猫ちゃん”になってくれるって、やくそく、したですよねぇ?」

 甘すぎる提案に、アキラは体温を上昇させていく。
 若い二人は若さに任せて身体を重ね、蜜月の時を繰り返していた。 そして今夜また、新たな性癖の1ページを開こうとして、メグルは誘う。 その瞳は艶やかに濡れて、顔を上気させてアキラに密着する。

「わたし、かなしいですぅ、せっかく今夜は、可愛いアキラちゃんとにゃんにゃんできるって思って頑張ったのに」

 よよよ、とメグルは泣き真似をする。
 ウソだとわかっていてもアキラはこれに逆らうことができず、また自分自身も好奇心が少なからず存在していて。

「ア〜キ〜ラ〜ちゃ〜ん」

 耳に吹きかかる、熱い吐息。くすぐったさが男の生殖器にまで浸透する。
 可愛い恋人にこんなことまでさせて、我慢なんてできるはずもなく、これを許した。

「うぅぅ・・・・・・ わかった、わかったよ」

「ほんと? ウソじゃない?」

「ああ、その、お手柔らかに、な」

「えへへ、ありがとう、アキラちゃん。 だから好きです」

 林檎みたいに熟れた頬に、ちゅっと触れるだけのキス。
 それを受けてアキラは、この娘にはかなわない、そう思った。





 メグルという黒髪の少女は、アキラにはできすぎた恋人だった。 黒髪のロングヘアーは常に清廉で、頭もよく、性格だって最高だった。
 彼女は優しくて、可愛らしくて、なによりエッチなことにも興味津々だった。
 ただ、少々行き過ぎているところもあって・・・・・・

「ちっちっち、ちっちっち」

 メグルが呼んでいる。
 舌を鳴らし、手招きして、従順なペットが、やってくるのを待っている。

(恐ろしい女を好きになってしまった)

 ちりりんと、首から音が鳴った。
 分厚い雲が切れ、月の光がにわかに差し込んだとき。 しなやかな小動物の姿となって、アキラは四つん這い。 いつものみすぼらしい服装ではない見間違えるほどの可愛らしい服を身にまとい、両手と、両膝を、ついて歩く。 

「おいで、おいで、アキラちゃん。 ちっちっち」

「・・・・・・ に、にゃあ」

 人間の言葉は禁止されていた。 反論する余地も与えられなかった。 プルプルと、羞恥と屈辱でお尻を震わせながら、アキラは鳴く。

(いい年した男が、こんな格好で、ありえない・・・・・・ )

 ネコミミのついたカチューシャ、大きな鈴の付いたチョーカー。 黒いワンピースの肩紐が、白く丸みのついた肩の上にこぼれている。 すべて黒で統一された衣装は、病的なほど白い肌とのコントラストが美しく、まるで本当に猫が人間の女の子になったよう。 しかも、丈が短いせいで肉球付きのお子様パンツがこっそり見え隠れしていて、仔猫の衣装でありながら女児服(スモック)であることも印象深い。 
 前髪を横に流して髪留めをつけていると、益々女の子らしさ、幼さが増し、幼児体型と揶揄されるそれも儚げな造形美となる。 珍しく、気弱な表情を浮かべていたアキラは、切れ長の瞳も色っぽく、頬はふっくら、唇は月明かりを反射してキラキラしていた。

「ちっちっち、ちっちっち・・・・・・ うふふ、いい子ですね。 いっしょにお散歩しましょ?」

 メグルの甘い猫なで声に、アキラはムラムラとした気分を引きずっている。 彼女の声が大好きで、昼間とは違う少し低い声色が、アキラの被虐心をそそる。 
 月の光が精緻な身体のラインをなぞり、床の冷たさに驚きながらも、律儀に手足を動かし前進していた。 ワンピースの裾からお子様パンツは丸見え。 ほんの少し前まで見慣れていた景色が雰囲気を変えて、すべてに見下されているという従属的な気分を味わっていた。
 一歩、二歩、三歩・・・・・・

「〜♪」

(お、お散歩、これがお散歩、くぅぅぅぅぅ、は、はずかしぃいいい―――)

 首についた大きな鈴がまた、涼しげな音が鳴らす。しかし、アキラを癒したり励ましたりするのには。いささか弱々しいものだった。
 肌がいつもよりも敏感になっていて、ワンピースの下は裸で、歩くたびに衣擦れしていやらしい気持ちが強くなっていく。 頬がさくらんぼのように赤いのも、呼吸が乱れていくのも、お股がムズムズするのも、みんな人肌恋しい夜の悪戯。

(最初はもっと、優しく身体を重ねるだけだったのに・・・・・・ 俺はそれでも、十分だったはずなのに)

 きっかけはメグルの思い付き。アキラは彼女に脚が綺麗だと褒められて、言われるがままストッキングを履かされた。 それにメグルがハマってしまい、髪型を女性のそれにしてみたり、化粧をしてみたり、先日はとうとう女の子の服を着て、後ろの処女を捧げてしまった。
 それもこれもメグルのことを愛しているからこそできる密事なのだが、自分自身も日々抑圧されたストレスが解消されたような気がして、のめり込んでいっている節も否定できない。

(だ、だからって、今日はメスネコ扱いだなんて・・・・・・ こ、今度こそ、恨むぞメグル・・・・・・)

 しかし、それができないのがアキラだった。
 しばらくの間、飼い猫としての散歩を堪能し、住み慣れた部屋を二回ほどゆっくり回らされた後、ねこじゃらしで戯れ、床に置かれた小皿からミルクを舐めとり、猫砂だけは断固拒否したが、メグルの足元で昂る気持ちを落ち着かせていた。
 アキラは両膝をついてお上品に座り、上目づかいで、メグルの顔を伺う。

「まぁ、お利口な仔猫ちゃんだこと♪」

 嬉々としたメグルはアキラの顎の下を手で撫で回し、ますますペットのような扱いをしてくる。 非常に執拗で、アキラがゴロゴロと喉を鳴らす真似をするまで、決して撫でるのをやめなかった。

(なんとなく・・・・・・ さからえないんだよな・・・・・・ メグル、には・・・・・・ ごろごろごろごろごろ)

 ・・・・・・ そうして、図に乗ったメグルはアキラをお姫様抱っこしてベッドに寝かせた。
 男女逆転したその状況に驚かされたが、真に驚いたのは、その後のことだった。

「アキラちゃん、にゃんこのポーズしてください?」

「・・・・・・ にゃ、にゃぁん」

 メグルのポーズを真似るアキラ。
 ベッドで仰向けだった彼は、再び恥ずかしさを我慢して、両手で猫が威嚇するときのようなポーズを構えている。 可愛い女の子であればあるほど、あざとらしさと庇護欲をそそるポージングをして、もちろんアキラのそれは十分に魅惑的だった。
 だからこそ、笑顔のメグルは早くもしゅるしゅる〜と、アキラのお子様パンツを脱がせはじめていた。

「え、や、やだ、やめろよ」

「いやなの?」

「い、いやではないけど・・・・・・」

「ならいいですよね? 安心して、優しくするから」

「・・・・・・ それは俺のセリフ」

「仔猫ちゃんにセリフなんてあったかなあ? うふふ、なぁんてね」

「・・・・・・」

 少しふてくされるアキラは生意気な飼い猫のようで、それすらも人の関心をそそらせる可憐な姿となる。
 メグルは王子様のように凛々しく、メイドのように恭しくお子様パンツを預かると、アキラのペニスを露出させた。 生まれつき毛が薄く、大きさもコンパクトで、彼女は唇だけ動かして「かわいい」と言った。

「アキラちゃん、今からなにをするのか、わかる?」

「にゃあん」

 セックスと心の中で答えたつもりだが、アキラは想像以上に恥ずかしかった。 メグルは勝手にうなずき、そして納得する。

「そうなんだぁ、わたしと、交尾がしたいんですね? アキラちゃんは、仔猫ちゃんなのに、エッチですねぇ」

「にゃ、にゃあ」

 生物学的には同じ意味なのだが、なぜかもっとアブノーマルな印象を受けた。

「あー、でも、アキラちゃんには仔猫として足りないものがありますよ、なんだかわかる?」

「・・・・・・?」

 答えるまでもなく、両足をM字に開かされる。 無防備に晒された股の付け根の影に、まだ青さが残る菊の花。
 つんつんっと、メグルが指でせっつきながら、もう片方の手で大人の玩具をアキラに見せた。

「正解はシッポでした。 ほらほら、リボンもついてて可愛いでしょ?」

 メグルが揺らすそれは長く黒いシッポのついた、アナルプラグ。 頭に矢尻のようなものが付いていて、シッポ部分の可愛らしさとは裏腹に、女性を鳴かせるための卑猥な形状をしている。 そしてそれは、まごうことなくアキラの女の子なスポットを狙っていた。

「こ、これ、お尻に入れるの・・・・・・ にゃ?」

 狼狽したが、アキラは極めてぎりぎりにネコ語を保った。

「そうです。 大丈夫ですよぉ、前回は、もっと大きなモノいれたでしょ?」

「うっ・・・・・・」

 イヤなことを思い出させる。 菊門がきゅうっとしぼんでいった。
 過去アキラは何度も言いくるめられて、結局お尻のアソコは姦通済み。 ちゃんと感じられるようにも開発されているが、だからといって積極的に使いたいところではない。 年上の男としての威厳もある。 メグルの性的趣向についてあまり不満を言いたくはないものの、最近は少し強引すぎると感じ、アキラは表情を強張らせていた。
 恋人として、無言でNGを出しているつもりだった。
 しかし、どうにもその思いは伝わっていないようで、

「ちっちっち、ちっちっち」

 メグルがまた、舌を鳴らし、顎の下を撫でてくる。
 ご機嫌なままアキラをかどわかし、耳に息をふきかけ興奮を煽る。
 アキラはくすぐったさに負けて笑みをこぼすと、メグルも同じタイミングで同じ笑顔を浮かべている。 心が通じ合っているような気がして、途端にメグルへの愛しさが流れ出す。 うっとりとしたものに身を委ねれば、怖いのだけれども、頑張れる気がした。

「いいよね、仔猫ちゃん?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 アキラは頷かない。
 同意はしないが、抵抗もしない。
 こんな時でさえ、彼はギャンブルと同じく大きな勝負には出ない。

 ―― こつん。

 お尻の穴の敏感なところに、シッポの頭が当たっている。 ちりんと首の鈴を鳴らすと、それを合図に一気に流れ込んで来た。
 アキラは爆発しそうな心臓を抑えたまま、力を抜き、身を捧げる準備をする。

「じゃあ・・・・・・ いきます」

(――――っっっっ!?)

 ジュボリ。冷えたお腹の底から熱い空気が押し上げられて、急な圧迫感と共に不埒な疼きが起こる。 霞んだ視界の先に、可愛らしいシッポを生やした自分のお尻が見えた。 痛みと思えたそれは、ただ菊門付近にある神経が敏感すぎるだけであって、火傷しそうな火照りと、こじ開けられたまま固定された括約筋もまた、ビリビリと快い痺れを伝えてくる。
 男であったことなど忘れてしまいそうになるほどの姦通、険しいアキラの表情も途端に茹で上がった。

「よいしょっと」

「うきゃうううん ―― っ!?」

 メグルは入れ込みを確認してから一度シッポを抜き、角度を変えてアキラの中へ再突入させた。 ―― 不意打ちで、今度こそ、本当に驚いた。

「〜〜〜〜っ!?」

 直腸を内側からめくり上げられる官能美と、固い異物が腸壁をえぐる衝撃に、アキラは自分の声とは思えぬ悲鳴が漏らす。
 カリの部分が直腸の深ヒダに引っ掛かり、収縮した菊門が根元までしっかりと銜え込んでいる。 メグルまた具合を確かめようとシッポを軽く引っ張ると、神経がつながっているかのように、痛覚と劣情が同時に刺激された。

(うわ、あ、あ、お、俺のお尻に・・・・・・ し、シッポが入って、くふぁ・・・・・・)

 想像するだけでもおぞましい事実。 男が男であるために必要な何かを忘れ、お尻の中がペニスをはめ込む形になる。 それも自分が最も信頼している恋人の手で、アキラは背徳的な気分で身悶えした。

「あがぅ、あ、が、ぐ、う」

 声なく「にゃあにゃあ」と切なく鳴いているアキラ。 健気に息を整え始めるが、お尻に生える自分のシッポに意識のほとんどを支配されてしまい、ひどく落ち着きがない。 お腹の張り、便秘のもどかしさ、排泄時の奇妙な圧迫感がいつまでも続いていて、それがどんどん大きく膨らんでいた。
 直腸内に生えるヒダの一本一本まで感覚を鋭くさせて、異物の感触がはっきりとわかるほどに、アキラは感じていた。

(めぐる、め、めぐる・・・・・・)

 お腹とお尻の中が苦しくてたまらないはずなのに、視界に映る恋人の笑顔が、生理的な嫌悪感を和らげてくれる。
 見つめられると自分が必要とされている気がして、偏ったプライドも責任感も、彼女が全部解き放ってくれる。 憂いのない幼子に変えられることを、自分でも望んでいる気がした。

(くるしぃ、でも、なんか、すごぉいぃぞぉ。これぇ)

 ヒリヒリとした菊門の痛みも怪しい疼きと変わり、玩具のシッポがアキラの―― 男の娘の穴に馴染んでいく。不安に揺さぶられた子ことの水面も穏やかな波へと変わり、ツンツンと玩具で抉られたところがむず痒い。
 お尻を開発されているイメージは抜けないけれど、肌触りのいいシッポはアキラの身体の一部となり、鈴付きのチョーカーは、メグルが主人であることを示す首輪だった。
 また、声なく「にゃーご」と可愛く鳴いて、メグルを呼んだ。

「うん、いい感じいい感じ、かわいいよ、アキラちゃん」

 メグルの手がシッポをひくと、今度は痛みの代わりに色っぽい声が出た。
 それがわかるとメグルは、アキラのワンピースの下から腕を入れて、平たいお胸とお腹をゆっくりとさすった。 もう、くすぐったいやら恥ずかしいやら、何かのおまじないのような手つきで、ちんまい乳首がぽっと萌芽する。

「か、かわいいって」

「え?」

「かわいいって、い、いう、にゃあ・・・・・・」

「あら」
 
 ぶっきらぼうだった。 長い睫毛が影を落とし、か細い声でアキラは反発する。 真っ赤な顔を必死で隠そうとしていて、そこにはかつてのような凛々しさも拒絶感もない。
 嬉しいという感情がまだ追いついていなくて、馴れない賞賛に戸惑いを覚えた。 お尻の中、挿入されたシッポの根元が熱くなる。

「照れ屋さんですね。 アキラちゃんは。 でもそこが、かわいいよ、アキラちゃんはかわいいです」

「・・・・・・っ」

 一瞬で目が合い、顔を伏せるアキラをメグルが顎から持ち上げる。

「俯かないの。 こっち見て、わたしの目を見て。 わたしのことだけを考えて・・・・・・ ほら、やっぱり、かわいいよ」

「・・・・・・うぅぅぅ」

 圧倒的なオーラに飲み込まれて、アキラは言われるまま従順になる。 身体の疼きが、どんどんと気持ちのいいものへと変わる。

「ぷにぷにのほっぺ、うふふふ。 ちっちゃーいお手々に、まんまるなお尻、オチンチンも、どれもこれもみーんな食べちゃいたいくらい素敵です」

「・・・・・・っ、も、もう、そのくらいで、もう」

「アキラ、ちゃん・・・・・・ くすくす・・・・・・ わたしの、可愛い仔猫ちゃん」

 戸惑いながらも警戒心の強いアキラに、メグルは待ってくれなかった。 頬をつつき、掌の感触を楽しみ、お尻をさすさすして、ペニスを指でなぞった。
 こんなに可愛らしい女の子が他にいるわけがない、そういわんばかりにホクホクとした顔。 見ているこちらが恥ずかしくなるほど嬉々とした声を上げ、ハチミツたっぷりのケーキよりも甘い言葉が、ゆっくりとアキラの中に沈みこんでいく。

「アキラちゃんってば、耳まで赤くなってるぅ〜。 かわいいって褒められて、ホントに嬉しくなっちゃったんだぁ〜」

「〜〜〜〜っ!?」

 小さな恋人の新しい顔を発見して、素直に喜びの声を上げるメグルは、意地悪なところも優しい所もすべて一括りにして、魅力的な女の子だった。 照れ隠しに拳を奮う幼稚なアキラを抑え込み、たおやかな唇の形を作った。 そして彼の首筋に吸い付いて、キスマークという愛情表現に、彼の意志もぐらりと反転した。
 ベッドの上のアキラは、愛でられることが運命の、可愛らしい仔猫そのもの。 彼女に顎の下を撫でられゴロゴロと喉を鳴らし、うっとりと目を細め、湧き上がる羞恥心と好奇心に身を委ねる。 力の抜けた身体のただ一点、小高く隆起した頂へ、彼女の手がゆっくりと導かれていった、

「ここ、熱くなっているね、どうしてかな?」

 メグルの手がそれを掴み、蠱惑する。

「ん、ん、んう」

 アキラは答えず、メグルと二人して物珍しげにそれを見た。
 アキラ本人は見たこともないほど大きくなっているペニスの膨張率に驚き、メグルはそれでもまだ男性の平均サイズしかないそれを可愛らしいいとつぶやいた。
 そして、感度は抜群に良好。
 触れられただけでもアキラの下肢がみっともなく泳ぎ、いやらしいお尻につられて、シッポがくるりとハートの形になっていた。

「はあ、は、あは、ああああん」

 発情した声が漏れ、身体中を小刻みに震わせる。
 早くしたい、早くイキたい。 思い出したかのようにあふれ出る感情は、そのまま恋人への熱い恋慕の猛りだった。

「入れますけど、アキラちゃん、自分で動ける?」

 顔をくしゃくしゃにして、苦しそうにアキラは首を振った。

「それとも、わたしに、動いて欲しい?」

 ぱあっと瞳を輝かせて、でもすぐに意地っ張りな心が邪魔をし、それで表情を落ち着かせ、迷いに迷ってまたうなずく。百面相するアキラなんて、この機会でなければ決して視られないことだった。

「じゃあ、してあげます。でも、ふふふ。 ひとつ、お願い、簡単ですよ ・・・・・・ おねだり、わたしに、上手にして」

 メグルから、アキラへ、耳打ち。
 聞こえてくるのはこそばゆい声と、ハートマークがいっぱいついてきそうな言葉の羅列。 まるで魔法の呪文。 ちょっぴりエッチなメグルともっと仲良くなるための、仲良し宣言。
 アキラは潤み切った瞳で、耳の裏まで真っ赤に染めながら、興じることを決意した。

(ほ、ほんとうにぃ、おれ、とんでもない女を、好きになっちゃった・・・・・・)

 羞恥と屈辱と背徳感、これらを飲み込んで。
 アキラから、メグルへ。
 これもきっと一つの愛の形。

「にゃ、にゃあにゃあ、にゃあにゃあ。 あきら、は、かわいい仔猫だ、にゃん」

 ニャンコのポーズ、尻尾を揺らし、瞳はキラキラ。

「飼い主様のことが大好きなんだにゃん・・・・・・ えへへ、お顔をペロペロしたいにゃん」

 伸ばした舌は届かなかったけれども、アキラの満面の笑みは、とても演技しているだけには見えない。

「はにゃ〜、ずっと一緒にいたいにゃん。 この匂い、うっとりするにゃん。 ごろごろごろ」

 ウソだけど、ウソじゃない、頬に添えられた手に、うっとり頬ずりして答える。
 そして、最後のセリフ。

「―― にゃぉほおおおおおおんっ!? チンポ生やしたメス猫の分際で、カマトトぶってごめんなさいにゃん! 飼い主様と交尾したいにゃん! 今すぐムチャクチャしたいにゃん! アキラは、アキラは飼い主様にメロメロの、万年発情エロ猫だったにゃん! にゃあにゃあにゃあっ!」

 メグルはうふふと、いつものように笑い

「このメスネコめ」

 と、嬉しそうに罵った。





「・・・・・・ お尻の穴が、まだ痛い」

「うふふ、お疲れ様です」

「やりすぎだよ、メグル」

 プレイが終わり、ぐったりとベッドに倒れ込むアキラ。 その傍らには当然のごとく、メグルがいた。 その豊満な胸を使い、彼を頭から抱きしめる。

「君だけだよ、俺を、こんなにMっぽく扱うのは」

「え? そうなんですか?」

「そうだよ」

「でも、アキラくんってMですよね?」

 アキラは顔を乳房に埋めたまま、拗ねたように眦を険しくさせる。

「・・・・・・ 否定はできないけれど、やっぱり今日みたいなのはもう勘弁してくれ。 恥ずかしいんだ」

「でも、イヤじゃなかったでしょ?」

「清純そうな顔してとんだビッチなんだから・・・・・・ イエスか、ノーで割り切れる話じゃない」

 ―― また、そうやって大人ぶったことをいうんだからと、メグルは月の安らぎよりも穏やかに笑って、そして頭を丁寧に撫でた。
 先ほどまでの荒々しい彼女と違って、慈しみの心を感じる。
 アキラの頬を、花の色をした乳首がつんつんっとつついてきて、赤ん坊よろしく舐めることも、くわえることも、弄ぶことさえ許されていた。

「わたしは」

「うん?」

 声色をまた変えて、メグルは母親のように囁く。

「アキラくんの弱いところが見せてくれて、とても嬉しいですよ」

「・・・・・・」

 アキラはその言葉に迷ってしまう。 愛欲に溺れ、ダメな人間になってはいけないと、心を厳しく保ったつもりだったが、

「普段から、もっと甘えていいんですよ?」

「・・・・・・」

「情けないところも、カッコわるいところも、全部さらけだしていいんだからね」

「・・・・・・・・・・・・ なら、少しだけ」

 アキラは健やかな表情を浮かべて、キスするみたいにメグルの乳首に唇を当てた。 彼女は「きゃっ」とくすぐったそうな声を上げて、だがしかし、アキラが離れて行かないよう再び頭を抱きなおす。 とても幸せそうだった。
 少し息苦しく暑苦しい夜ではあったが、メグルの心臓の音を聞いていると落ち着く。
 もう、ダメな人間ででもいいかもしれない。
 アキラはそう考えると、泥濘のようなこの愉悦が、永遠に続いていくように思えた。





 ―― 翌日のこと。
 アキラには多額の借金がある。
 彼のせいではない。 死んだ父親が残したものだ。
 それも一度ではとても返済できる額ではないので、毎月決まった日に決まった金額だけを、少しずつ返済していた。
 借金取りたちは常に高圧的な態度でアキラを脅し、嘲笑や悪態、時には暴力さえふるうことさえあった、
 その日も、アキラは借金とりたちにお金を返すために歩いていたのだが、一人の若い少女に付きまとわれていた。
 笑顔が良く似合う、ショートカットの少女だった。

「お兄さん可愛いね、よかったらアタシとおしゃべりしていかない〜?」

 顔立ちが幼可愛いアキラはナンパや、勧誘を受けることも少なくなかったが、その少女はとにかくしつこかった。 断りを入れるアキラに何度も食い下がり、とうとう借金取りとの待ち合わせ場所にまでついてきてしまった。
 待ち合わせ場所は、何の変哲もないごく普通の喫茶店だったけれども、彼女がジャンボストロベリーパフェスペシャルを頼んだことで、騒ぎになった。

「おおおーっ、これが噂のスペシャルパフェかぁ。 イチゴがてんこもり。 アンタも一口どう? もちろん、アタシたちの驕りだよ! こういうお店ってやっぱり、一人じゃなかなかはいれなくてさぁ」

 小さなお口の中に運ばれるパフェ。 そんな細い体のどこにあれだけのボリュームが入るのか不明だが、彼女はまるでカレシとデートしているかのような弾んだ気持ちで、瞳に星を輝かせながらスイーツを堪能する。 
 無邪気な少女を見て、アキラはふとした笑いまで零してしまう。 それから僅かな時間ではあったが、彼女と他愛のない話もした。
 しかし、借金取りたちが時間通りにやってきても、彼女は怯むことなく一方的に話し続けていたので・・・・・・
 借金取りたちは「なんだ、このアマ!」「ふざけんなよ、コラ!」「ぶっころすぞ」、それが生きがいであるかのように大声を出し、アキラの胸倉に掴みかかったのだが、

「ギャア!?」

 ―― スタン

 借金取りの男の手がテーブルに打ち付けられる。 ぎらついたナイフが、そこに突き刺さっていた。

「アタシが先にしゃべっているんだ、むさい男は引っ込んでいろよ」

 ジャンボストロベリーパフェを堪能していたときと同じ笑みの形をつくりながら、少女は言った。
 名前はチトセ。
 アキラは心底驚いたが、感情を抑えて、静かにチトセと向き合っていた。

「―― アンタみたいな人間はさ、普通、借金取りみたいな連中でも、可愛がられているはずなんだけどね」

 アキラは、助けられたなんて微塵も思ってはいない。 それどころか警戒心を強くして身を固める。
 チトセは不敵な笑みを浮かべなら、パフェを食べていたスプーンをまた進めていく。 二人の間の時の流れに、大きな矛盾を感じていた。

「利息分だけでも馬鹿にならないのに、アンタは毎月欠かさず金を収めているし、文句も言わず、真面目で、ほとんど手がかからない。 それにその若さだ、あと30年は搾取できるし、いざとなったら男娼で働けるほど容姿がいい。 優良顧客なんだよ、アンタは」

 褒められている、わけではないようだった。
 チトセが視線を強めると、しんっと冷たい空気を感じる。 喫茶店が、人食い熊の胃の中に変わったような気がした。

「・・・・・・ みくびっていたよ。 まさか借金取りへの返済を、借金取りの親玉が経営しているカジノから巻き上げていたなんて、な。 いいカモだと思っていたら、まんまとアンタの掌で踊らされていたってわけだ」

「・・・・・・ なにか問題でもあるか?」

「いいや、まったくないよ。 だけど、やつらのメンツをつぶしたのは確かだ。 ウサギを狩るはずのライオンが、自慢の立て髪を、よりにもよってそのウサギにむしられたとあっちゃ、やつらも黙っていられないってさ。 死活問題なんだよ」

「・・・・・・」

 ちょうど巨大なパフェを食べ終え、お腹を膨らませたまま満足げなチトセ。 身を乗り出しながら、繁々と未だ表情を変えることのないアキラに忠告する。

「だけどなぁ、わかっているんだろ。 こんなこと、何年も続けられるわけがない。 堅実なアンタでも、ギャンブルでずっと勝ち続けるなんて不可能だ。 そうだろ? そうだろうさ」

 アキラは冷静さを失うことはなかった。 チトセは意味深に声のトーンを下げ、なおも続ける。 彼女は彼の一番痛いところを、彼以上に良く知っていた。

「それにもっと他の心配もあるぞ。 この先、アンタがケガをしたらどうなる? 病気になったら? ある日突然仕事をクビになったら? いったい誰が、月々の返済を肩代わりしてくれるんだ? 親か? 親はもういないよな。 じゃあ兄妹? それももういないんだろ? 」

 チトセが話していることには説得力がある。 いずれも、この先必ず起こりうることばかり。
 この世界にはまだ、生命保険などというものは存在していない。 そして借金は、例え借りた本人が死んだとして残る。 その家族や、あるいは友人が必ず払わされることになっている。
 アキラの頭の中に、メグルの姿が映った。

「これまで散々舐めたことされた借金取りたちは、絶対にそれを見逃さないぞ。 きっと、アンタだけじゃなくて、アンタの女にだって手を出す」

「何が言いたい」

 アキラの抑揚のない問いに、チトセはテーブルの下を指差した。

「視線を変えずに足を延ばしてみろ。 デカイ鞄が置いてあるだろ?」

 チトセの言葉の通り、足先にカタイ感触と、チャリという小気味いい音。

「おいおい、あまり強く蹴るなよ? その鞄いっぱいに金貨が入っているんだ。 大金だよ、大金。 アンタに貸してやるよ」

 なぜ、と不満を浮かべるアキラに、チトセは両手を広げた。

「その金、どう使おうとアンタの勝手だ。 一発逆転を狙ってギャンブルするのもよし、女がいるなら豪遊してセックスしまくるのもよし、自信があるのなら持ち逃げしても構わない。 でもな、アタシたちは必ずその金を回収するぜ。 一枚でも足りなかったら、アンタをそのまま回収する」

 チトセはニヤリとし、その頬には、パフェのクリームが可愛らしく残っている。 しかし、アキラがそれを一度取ろうとするものなら、指を食いちぎってもおかしくないほどの威圧感を湛えている。
 アキラは慄いた。
 表情には少しも出さず、静かに彼女に恐怖し、そして理解した。
 彼女が先ほどからずっと笑っているのは、パフェを食べているからではない。 アキラという人間そのものを、自分の手中に入れられると確信し、悦んでいるのだった。

「・・・・・・ 人さらいか、君」

 チトセは鼻で笑って、

「今頃きづいたのか? そんな鈍さで、本当に大丈夫?」

 チトセの言う通り、アキラはいつか自分の破滅を想像していた。 メグルという存在がいて、気を和らげていたが、いつか死神に肩を叩かれることを想像し、恐れていた。
 そして、今、予想よりもずっと若くて可愛らしい少女の手によって、ジワジワと奈落の底へと引きずり込まれていく。

「まだ、受け取るとは言っていない」

 精一杯の反抗をするアキラ。

「いや受けるさ、ココを逃せば二度とこんなチャンスはない、ゆるやかに堕ちるだけ。 アンタ馬鹿じゃないし、よくわかっているはずだ」

 正論を振りかざし、チトセはアキラの退路を塞ぐ。
 彼女の目はもうすでに、未来を映し出していた。

「誓って言うが、アタシたちは嘘なんかついていない。 金で幸せを変えるなんて思っていないけれど、アンタもアタシも不幸な生まれは選べなかった。じゃあ、生き方はどうだ? ・・・・・・ やっぱり、なかなか自由にはいかないだろう?」
 
 チトセは少し同情するかのような言い方で、けれども嫌味にならない言い方で、優しく諭してくる。
 ギャンブルをするときも、プライベートでも、アキラは人の言葉には惑わされないようにしている。それなのにどうしてか、チトセの言葉に涙を流してしまいそうな自分がいて、胸が苦しむ。 その手が、ゆっくりと金貨が入っている鞄に向かっていた。

「今の生き方を変えたいのなら、その金は絶対必要だ。守りたい家族があるなら、なおさらだ」

「家族・・・・・・」

「そう、家族だよ」 

 アキラは、しばらくチトセとにらみ合っていた。
 洞穴のように深い闇色をした真円の瞳孔。 輝くひまわりのように色鮮やかな虹彩は、妖しい魅力と獰猛な暴力性を秘めていた。 それでもチトセの瞳が人の心を強く惹きつけてしまう要因は、今のチトセの心に一点の憂いもなく、例えそれが悪と称されるようなことだったとしても、完璧にやり遂げるだけの決意を秘めていたからだ。
 やがて、不可能と思われた巨大ストロベリーパフェを一人で食べ終えたチトセは、石像のように固まるアキラを見て、眠たげな顔してこう漏らした。

「まあ、ここまで言っても、それでもこの金を使いたくないっていうのなら、仕方がない。 好きにすればいいさ。 でもそれなら、出来るだけ早く子供をつくることだな」

「子供・・・・・・?」

 アキラは想像する、自分とチトセの血を引いた子供たちのこと。

「買ってやるよ。 アンタの子供なら、高値で売れそうだ。 それともアレか、あんたの親父みたいに、子供に借金を肩代わりしてもらうか?」

「・・・・・・」

 チトセは、それでも表情を変えないアキラに呆れているようだった・・・・・・





「うーん、うーん、うーん・・・・・・」

 その晩、アキラは酔いつぶれていた。
 彼が酒を飲むことはとても珍しいことだったが、その晩はどうしようもなく酔いたい気分になり、近くの居酒屋で安い酒を一杯やってから家に帰った。
 あまりアルコールが強いわけでもないアキラは、もうすでにホロ酔い気分は終わって泥酔状態に映っている。 すこぶる気分が悪くなったところで、メグルに介抱され、今は風当たりのいいソファーの上で寝そべっていた。
 そんな自業自得なアキラに、メグルはそっと優しい手を差し伸べていた。

「・・・・・・ チトセ、とかいったか・・・・・・? ・・・・・・ あの女の、言う通りなんだ」

 弱々しい表情を下に傾けながら、アキラは恋人にだけは心境を吐露していた。 チトセのこと、お金のこと、借金のこと、これまで秘密にしていたことも含めてすべてを打ち明けた。

「わかっていたんだ・・・・・・ こんな生活長続きするわけないと。 いつか必ず終わりが来る・・・・・・ それでも俺は、現実から目を背けようとして・・・・・・」

 アキラはメグルの手をぎゅっと握りしめた。 甘い恋人生活の終わりが近づいてきたことを、彼自身が一番よくわかっていた。
 だからこそなのだろう、メグルは「大丈夫」などと迂闊なことは言わないで、優しく慰めてくる。

「アキラくんは、よく頑張りましたよ。 本当はずっと怖くてたまらないはずなのに、勇気を振り絞って、いつも堂々として、借金取りの怖い人たちに一泡も二泡もふかせたじゃないですか」

「けど、その結果、取り返しのつかないことになってしまった。 俺だけじゃなくて、君にまで迷惑をかけている」

「わたしのことなんて別に・・・・・・」

 その優しさが今のアキラには辛かった。 けれども彼女のその手は決して放したくはない。 仔猫のように鼻を寄せて、クンクンと、親愛のポーズ。

「今日も、一日中、仕事だったんだろ? わざわざ来てくれて、疲れてないか?」

「んー、うふふ。大丈夫だよー。 でもありがとう」

「・・・・・・」

 お返しとばかりに労いの言葉を送ったアキラは、さらにお返しとばかりにメグルにお褒めの言葉を預かり、なおかつ頭まで撫でられる。 彼女の手つきはいつも丁寧で気持ちがいいのだが、それを口にしてしまうとますます頭が上がらないような気がして、代わりにじーっと瞬きもせずに彼女を見ていた。
 沈黙を貫いているのは、照れ隠しと、考え事をしていたからで。
 いつも、恋人と言うよりはペットのような扱いを受けるのだけれども、いつか彼女を見返してやりたいとアキラは思う。 可愛らしい野心が彼にもあった。

「・・・・・・ チトセは、ウソはついていなかった」

「え? なに?」

 メグルは聞き返した。

「あの金さえあれば、俺たちは本当に、もう一度やり直すことができる。 おそらく・・・・・・」

「・・・・・・」

「一発逆転、大勝負。 ガラじゃないけど、そろそろ腹をくくって白黒はっきりさせる時なのかもしれない」

 思いつめるアキラに、メグルは言った。

「それじゃあ、どうしてお金を受け取らなかったんですか?」

「・・・・・・」

 アキラは手ぶらだった。
 あの時・・・・・・ アキラは喫茶店でチトセの提案を断り、金貨の詰まった鞄はそのままにして立ち去ったのだ。 そこに迷いがなかったわけではない。 しかし、彼は、一度は鞄に手をかけたが、結局受け取ることをやめたのだった。
 そのことを、恋人に尋ねられたアキラは、大きなため息をついた。

「なんでかなぁ、図星をつかれて感情的になっていたのかもしれない。 だけど、あのお金を借りてしまったら、ツキが逃げて行ってしまう気がしてね・・・・・・」

 心にぽっかり穴が開いたような気分なのに、アキラは得意げな笑みをこぼす。 断った時のチトセの顔を思い出すと、急に晴れやかな気持ちが差しこんでくる。 いわゆる、メンツというものに泥を塗ってやったわけで、メグルにまた褒めてほしいのかもしれない。

「ふふっ、そういうところ・・・・・・ そういう、天邪鬼というか、臆病というか、やっぱりアキラくんは、仔猫ちゃんみたいですねぇ」

 しょうがない子ね、とメグルは母親のような面持ちでアキラの頭を撫でる。

「M扱いするのはやめてくれっていったじゃないか」

「あはは。 だって、そう思うんだから仕方がないじゃないですか。 今だって、私の手を頬でスリスリ〜ってしているし」

「・・・・・・ イヤ、だったか?」

 アキラは頬ずりをやめ、少し真剣に尋ねた。

「ううん、全然。 こんな手でよかったら、いくらでも貸してあげますし、もっと甘えてもらってもいいんですよ」

「それ、本気にしてもいいか?」

「え?」

 メグルの何気にない一言により、アキラの瞳はさらに焚きついた。 ガバっと音を立てて身を起こし、寸前のところまで近づくと、彼女の目を見ながらもう一度訪ねた。 安いお酒の酔いなど、もうすっかり吹き飛んでいる。

「メグル・・・・・・ 君の力が必要なんだ」

「アキラ、くん?」

「いいか、よく見ていて」

 カジノで使うごく普通のコイン―― チップを掲げるアキラ。 メグルの返答を待たずして親指で弾くと、チップは高々と垂直に上がり、またくるくると軌跡を描きながら再び落ちてくる。
 息を飲み、アキラは瞬く間にそれを掴んだ。
 右手か、左手、どちらか一方の手で、だ。

「さあ、右か左。 チップを握っている方の手を、当ててみて?」

 突然の質問だった。 ただそれは、メグルの慧眼を信じてのモノだった。

「うーん・・・・・・ うーん・・・・・・ えっとねぇ・・・・・・ ふむふむ・・・・・・ 」

「・・・・・・」

 アキラは可能な限り平静を装って、ポーカーフェイスを保っていたが、

「うん、わかった、チップがあるのは右の手です」

「・・・・・・ どうしてそう思う?」

 目を眇めて、表情を伺うように、アキラはメグルを眺めた。

「ふふふ。 恋人だからね。 わかるんだよ、仔猫ちゃん♪」

「・・・・・・。 恋人じゃないと、わからないのか?」

「え」

 冗談めかしたつもりが真顔で返され、メグルは面くらった表情を浮かべている。
 彼女が正解することは当たり前、本番はこれからだと言わんばかりに、アキラは右手からチップをもう一度放り投げる。

「つまり、俺じゃない、別の誰かが、今みたいな二者択一のゲームをした場合、当てられることができるかという質問」

「え、えー? どうかな、でも・・・・・・ 何回か、もしかしたら何十回かだけど、観察すれば、できるよ、たぶん」

 自信が6割、臆病さが4割。 悪くない答えだと、アキラは思った。
 メグルを、カジノ場に連れ出すことを今決めたのだった。


後編