妖精がいる世界 3.赤か、クロか 後編





その晩のアキラは覚悟を決めてメグルに臨んだ。

「今日は・・・・・・ その・・・・・・ 俺、が・・・・・・ ううん、わ、わたしが・・・・・・ する、にゃん」

 アキラは、これは“取引き”なのだと自分に言い聞かせ、従順に跪く。
 借金完済のためのギャンブルには、どうしてもメグルの協力が不可欠で、アキラがあげられるものといえばその身体しかない。 普段はそんな自分を安く売るようなことは決してしないのだが、今回は特別だった。
 だからその晩だけアキラは、メグルの奴隷になることを決めた。

「嬉しいです♪ わたしに、ご奉仕してくれるの・・・・・・?」

「は、はいにゃん・・・・・・ ご奉仕、する、にゃん・・・・・・ううん、 させて、くださいにゃん」

 ベッドの上、下着姿のまま脚を組んでいるメグルとは対照的に、アキラは床に両膝をつけたまま慎ましくかしづいていた。
 黒いガーリーワンピースに白のエプロンを合わせたクラシカルなメイド服。フリルとレースがふんだんに使われた女の子が喜びそうな可憐なデザインで、ヘッドドレスにはネコミミが生えている。 髪型もエクステンションで短めのツインテールにし、もはや別人と思うほどにアキラは変身してしまっていた。
 前回よりもずっと露出している面積は少ないはずなのに、よりメグルに服従している感じがして、「食べてください♪」と言わんばかりに自分をキュートに彩っている。
 メイドスカートの丈はいやらしい視線を集めるために短くされ、今にもこぼれだしそうなお尻が今、ウズウズと感じ始めていた。
 そして、小さな女の子が背伸びして履いたような白のガーターベルトと、可愛いらしいガーターストッキング。 アキラの桃尻がきゅっと引き締まり、肉感たっぷりな太腿を走る白いラインが、生唾ものの色っぽさを演出した。

「うふっ、それで? メイドで、仔猫のアキラちゃんは、いったいどんなご奉仕をしてくれるのかしら?」

「にゃぁああぁぁん。 い、いっぱい、気持ち良くなって・・・・・・ もらうにゃん」

 喜悦に緩んだ表情を浮かべるメグル。 
 彼女の視線を意識しただけで、アキラの頬が茹で上がりのトマトのように赤くなり、モゴモゴと舌足らずな幼声をつぶやかせていた。
 アキラはさらに甘えるような真似をして、にゃんこのポーズで媚びるのだった。

「うふふ。 期待しちゃいますね。 ちゃんと上手くできたら、いっぱいご褒美してあげるからね」

「んにゅうう、が、がんばる、のぉ・・・・・・ 」

 メグルの甘言にすっかり瞳をふやかしたアキラは、自分が男であることも、人間であることさえ忘れてしまったかのように、じゃれつく。
 その首には昨夜と同じく鈴付きのチョーカーが巻かれていて、音色を奏でるたびに背徳的な興奮が湧き上がる。

「アキラちゃん・・・・・・ ううん、アキラ」

 呼び捨てにされ、より隷属的な気分にゾクっとするアキラ。

「か、飼い主、さま・・・・・・」

「あはは。 アキラ。 今日はいつもより素直なんですね。 本当の女の子に・・・・・・ メスの、仔猫になっちゃったんじゃない?」

 チロチロと、足の指先からくるぶし、ふくらはぎ、内腿に向かって、従順に舌を這わせていく。 まるで砂糖菓子を舐めるように恍惚とした眼差しのアキラは、小ぶりなお尻と尻尾を振り、メグルの手招きを待ってからお利口さんにベッドに上がった。

(メグルの飼い猫・・・・・・ か、それも、わるくなかも・・・・・・)

 アキラの屈辱と恥辱は、初恋にも勝るときめきへと変わり、被虐の虜に堕ちていく。
 ミニスカートを持ち上げる自分のペニスを両太腿で挟み、擦り合わせるようにして、今にも達してしまいそうなほどの射精感を持て余す。
 最初は抵抗心も強かったのだが、にゃあと鳴くたびに自分の中の何かが活発に動き始める。 心が震え、飼い主様の身体に自分を擦りつけたくなってしまう。

「スリスリしちゃて、ご奉仕の前に甘えたいの? うふふ、ねぇ、今どんな気分ですか?」

「・・・・・・ は、恥ずかしいにゃ。 でも、くっついていると感じて・・・・・・ はにゅうん、いい、気持ちになっちゃうのにゃあ」

 アキラはミニスカートを捲り上げられ、白いガーターベルトにつながった純白の下着を晒す。 それは女の子にはちょっと刺激の強い、セクシーなランジャリーだ。

「にゃ、にゃあ、にゃ、んっ、あぁ、ふにゃ。 お、おまたの付け根に、火が付いちゃいそうにゃのぉ、ふぅぅん、もっと・・・・・・ 見て、ほしぃかも」

 だらりと涎を零し、発情しまくりの四つん這いの仔猫。 股を開けたメグルの両脚の間に割って入り、甘えながらすり寄っていく。ネコミミの付いたヘッドドレスで着飾り、ツインテールにした髪を徐にかきあげながら、鼻先を、メグルの首筋へ向かわせる。
 ぷるっぷるの感触で、アキラが軽くメグルの胸に触れると、彼女はそれに従ってゆっくりと仰向けに倒れる。 これで形的にはメグルを押し倒したことになるのだが、眼下に浮かぶ妖艶な微笑みに、被虐的な快感がすぐにせり上がってくる。
 母猫にじゃれつく仔猫。 少しでもおイタすればお仕置きされてしまう。 そんな綱渡りの興奮がますますアキラの顔を赤らめた。

「見ています、しっかりと・・・・・・ アキラの可愛いところ、全部、見ています・・・・・・」

「ふわぁあ、う、うん、うん・・・・・・」

 舌に残るメグルの肌の味、声と、眼差し、それか匂いと息遣い。 五感で感じて、心を焚きつけて、しばらく動けない。 熱いシャワーを浴びせられたように震えていた。

「ふふふ。 本当に、これだけで、感じているんだ・・・・・・ とってもいやらしいんだから・・・・・・ んんふふ、でも可愛い。 すごく可愛い。 ねぇ、そこのサクランボとって。 わたしに・・・・・・ 食べさせてください」

 つんつんと、メグルは艶めかしく自分の紅唇を指でつついて誘惑する。

「んにゃあごぉ・・・・・・」

 アキラは震える興奮を抑えながら、サイドテーブルの上のサクランボの房から一粒・・・・・・ 柔軟に首を伸ばして、器用に唇でくわえた。

 ―― ちゅっ。

 そして、口移しでメグルにサクランボを、かしこまって自分の唇と共に捧げる。

(なんだか・・・・・・ いつもより、ずっと・・・・・・ なんで・・・・・・?)

 唇を割って、舌をメグルの口内に入れる。 甘い。 それしか考えられない。

「んんんんっ、ん、ううう、、んちゅ、っ、ん、ちゅぱ」

 口内でもメグルの舌は動かなくて、アキラはハチドリのように熱烈に舌を絡め、唾液をすすり、恥ずかしいショーツを大きく膨らませていた。

「ふふ・・・・・・」

 もう一つサクランボを口で運ぶ。 アヒル口をするメグルをその目に焼き付け、食べ終えるのを待ってから、またチュッチュする。 ツインテールのネコミミメイドは小刻みに背筋を震わせながら、無我夢中に愛欲を貪った。
 飼い猫であることを示す鈴が鳴りやむことはなく、キスもどんどん動物的になっていく。 やがてサクランボを渡すことも待ちきれずに、アキラは愛欲のままにただただ口廻りをペロペロと熱烈に舐めた。 時々くんくんと、首筋の汗のにおいをかぐ。

「ふふ、あはははは、もう、くすぐったい・・・・・・ これって何かの罰ゲーム、あははっはは、はは」

 くすぐったそうに笑うメグルは、同時に、アキラの股間をスリスリと撫でていた。 下着越しとはいえそれがたまらなく気持ち良くて、四つん這いのアキラは股間を上下に振幅。 とても、いやらしい腰使いだった。
 そんなメグルの寵愛を受け、ジンジンと痺れと熱がペニスの先端に集中していく。 エッチなおつゆが垂れて、おもらししたみたいにショーツも濡れぼそっている。
 幸福に浸っていたはずのアキラはもう大混乱だった。 ちゃんと飼い主様にご奉仕できないのが悔しくて、飼い馴らされているペニスが情けなくて、でももっとイジメてほしくて、大きな瞳も潤みだす。
 気持ち良さに耐えきれなくなって、猫が伸びをするときのポーズと同じ、しなやかに背骨を伸ばして震えながら固まった。

「にゃお・・・・・・んあ・・・・・・ おおおおお・・・・・・ んんっ」

「あらあら、アキラってば。 もうオシマイなの? ご奉仕するっていったのに、もう少し頑張ってくださいよ」

 がっかりしているように見えなかったが、「ヘタレ、ヘタレ、ヘボチンポ」と冗談めかして、アキラの股間を指で弾く。
 女装男子はもう痛覚も快感もわからなくなって、涎と共に嘶いていた。

「しっかりしてよね、アキラはもう、わたしのモノなんですから」

「ご、ごめ、ひぁん、ごめんなさい・・・・・・でも、い、イキたくてっ!」

「わたしの許可なしに?」

「ひふぅうううん。 ゆるして・・・・・・ にゃあにゃあ、アキラを、ゆるして・・・・・・ 飼い主様ぁ」

 媚びた瞳の悩ましげな声を上げて、アキラは必死になってメグルに抱きついた。
 ここが自分の居場所だと言わんばかりに胸の谷間に顔を埋め、両足で四肢を絡め取ると、半ば夢遊病の状態で鼻や頬を擦りつけた。
 アキラは、メイド服を着ていることさえわずらわしく思うほど、きめ細やかな女性の肌の感触と、ふくよかな爆乳の弾力を全身で独り占め。
 快感は熱い血潮となって体を巡り、フライパンの上にあるバターのごとく、アキラの身体がメグルの身体に溶け込んでいく。 叱られているはずなのにすっかり頭がふやけてしまい、ごまかすように彼女に愛嬌を振りまく。

「にゃんにゃん、ごろごろ、にゃあにゃあ」

「んもうぅ〜、そんなに可愛く甘えられちゃったら・・・・・・ わたし、許すしかなくなっちゃうじゃないの、ずるい子ですねぇ」

 背中に手を回されて、アキラはメグルから甘い抱擁を受ける。 その瞬間悦び過ぎた彼は頭の中だけで軽く達してしまって、恥辱に塗れた白昼夢に襲われる。

(飼い主さまぁ・・・・・・ スキスキ、ダイスキ・・・・・・♪)

 頭で考えるよりも早く、アキラの心が勝手に騒いでいる。
 締りのない赤ら顔、さらに締りのないペニス。 ギンギンに張りつめて、黒い女性用下着から卑猥な形がくっきり浮かぶ。 汗ばんだ肌からは濃厚なメスの香りを漂わせ、乳首も痛いほど充血し、潤んだ瞳が切なげに快楽を訴えていた。

「んにゃああ・・・・・・ もうガマン、でき、ない、にゃあ・・・・・・ 飼い主、さまぁ・・・・・・ 飼い主さまぁ・・・・・・ メイドもどきのメス猫のぉ・・・・・・ ふぅうんっ、はしたない、おちんちん・・・・・・ あ、ああう、お願いだにゃあん・・・・・・ シテ、ほしいにゃん」

 鼻息荒く、干からびた喉の奥からメグルを渇望する声。 アキラは悶々とベッドをゆすり、飼い主に向かってもどかしさをアピールする。
 アキラという愛玩ペットは、ご奉仕も満足できないのに、もうご褒美をおねだりしている。
 けれどもメグルは優しく歯列をこぼして、ゆっくりとアキラの頬を掴んで顔を寄せ付ける。 そして耳元、彼の一番感じやすいところで、甘く囁いた。

「んー? シテ、ほしいだけじゃあ、わからないなぁ。 ちゃんと言ってください・・・・・・ あなたはわたしの仔猫ちゃんでしょ? アキラ」

「にゃ、にゃあん、にゃあぁぁん・・・・・・ か、かわいがって、ほしい、の・・・・・・ 飼い主さまぁ」

 アキラは両膝立ちして背筋を伸ばし、自らメイド服をまくり上げて、下着もガーターベルトごと膝上までずり下ろす。おへそと乳首と、そしてクチュクチュのペニスを見せびらかし、イジメてほしいとばかりにおねだりを零す。
 勃起したペニスを恥ずかしげもなく左右に振って、その破廉恥な腰使いは、変態、を通り越してもはや淫獣の類。 可愛らしいと例えられるその容姿の裏側で、淫らな本能をむき出しにしていた。
 人としてあまりにみっともない姿だったけれども、清々しいほどの解放感だった。
 アキラはこんな倒錯的なプレイにはまってはいけないとわかっているのに、でもイキたい。 メグルにイカされたい。だから「にゃあにゃあ」と鳴いた。 発奮した自分の声に、快淫の音色が響き、忸怩たる思いに気持ちが昂る。

「んふふ。 どこを可愛がって欲しいのかなエッチな仔猫ちゃん? 頭? 顎の下? それともこの固くなっている乳首かな?」

「い、いじわるしないでぇ・・・・・・」

 不満げに表情を曇らせるアキラだったが、身体は素直だった。
 メグルが焦らすような手つきでない胸に触れてくる。 羽毛で肌をこそぐように、優しい愛撫で、乳首のあたりを触れられると身体がビクッと反応してしまう。

「オチンチン、オチンチンがいいのぉ・・・・・・」

 未練たらたらのままメグルの乳首責めをなんとか振り払って、再びアキラはつんっと生意気なペニスを彼女に向けた。
 メグルに直接触れられたい、下着の上からでもあれほど気持ちがよかったのだから、ひとたび握られるとすぐにイッテしまうかもしれない。
 恐怖と、期待に胸いっぱいに膨らんで、淫乱男の娘メイドの媚態は、静寂な夜の闇でも隠せるものではなかった。

「うーん、どうしよっかなぁ・・・・・・ 正直、もう少し頑張ってくれと思ったんですけど」

 あからさまな演技で思案顔をつくるメグルに、アキラは血相をかえて狼狽えた。 自分が不出来なメイドであることをしっかりと理解している。 けど、ご褒美は欲しい。

「アキラが上手にご奉仕してくれたら、わたしだってね・・・・・・ このお口とかぁ、おっぱいとか、アソコもぉ、いろいろ使って、いっぱい抜いてあげようと思ったけど・・・・・・」

 そう言いながらメグルは口を大きく開いたり、胸元のボタンを外して乳房を持ち上げたり、ちらりと下着を見せたりして挑発するが、それらはすべて『おあずけ』だった。
 一喜一憂。 アキラは哀しげに鼻を鳴らし、だけど諦めきれずにペニスを振って、物欲しげにメグルを見つめた。
 この際、贅沢を言える状況ではない。 行き場を失いかけている射精感がアキラの心を卑屈にさせて、自分がメグルの飼い猫としての立場を思い知る。 もはやその手で摩擦を送ってくれるだけでも、よかったのだけれども、彼女は甘くない。

「今日はダメダメだったしなぁ。 手でしてあげるのも、正直、もったいないくらい」

「そ、そんにゃあ、ああん。 つ、つぎは頑張るから・・・・・・ アキラ、いい猫に、なるか、らぁ」

 そんなアキラにふっとメグルは笑みをこぼして、

「ふふふ。 しょうがない子。 ・・・・・・ じゃあね、これならいいよ。 コ、レ、これで勝手に一人で抜いてください」

「・・・・・・?」

 メグルが使うのは右手の指の二本だけ。 その指でOKサインをつくり、淫猥なペニスの前に掲げる。
 アキラは意味が分からず目を丸くしていた。 指わっかの向こうには母親のように微笑むメグルがいて、彼女はいつも優しく、やり方はともかく必ずアキラを幸せにしてくれる。 そんな彼女が小さく頷くと、その想いが伝わってきた

「ふっふっふっふ。 この指わっかをアキラに貸してあげる。 そのオチンチンでわっかをくぐって、自分で腰振ってシコシコするの・・・・・・ どう? お似合いのご褒美でしょ?」

「・・・・・・ に、にゃあ」

「そ、いい子ね、じゃあ。 制限時間は5分だから?」

 メグルは、優しく残酷に、それを告げた。
 アキラにはもう躊躇している時間はなくなり、両手を後ろに回して腰だけを前に出す。 興奮しすぎてなかなか狙いが定まらず、亀頭がわっかが上手くくぐれない。

(はやく、はやくわっかをくぐらないとぉ・・・・・・ はふぅうう、じれったいよぉ、飼い主さまぁ)

 ちょびっとの刺激、ちょびっとの快感。 それらを求めてアキラは、あまりにも滑稽なダンスを始める。当然、メグルは動いてもくれない。
 焦れば焦るほどペニスが指わっかを外し、当然イキたくてもイケない。 不完全燃焼した身体は狂おしいほど切なく疼く。
 見世物にされていることなんて、関係ない。 むしろ、それすらも今のアキラは快感の火種にしかならなかった。

「にゃっ! にゃっ! にゃにゃっ! ふにゃっ! にゃあん! あっ! んにゃっ!」

「がんばれがんばれ〜♪ ふふっ、オチンチンがんばれ〜♪」 

 シュリ、上手くペニスがメグルの指わっかをくぐると、亀頭が擦られ甘い蜜が流れ込んでくる。 指がカリに引っ掛かると、少々痛いほどの刺激が連なる。
 シュリシュリ、 短くて速い、微々たる快感を求めて、アキラはひたすら勃起を擦りつける。 亀頭からこぼれた卑猥な液体が、メグルの指を汚していく。
 アキラは惚れ惚れとしていた眼で腰をふり、一度は後ろ手に回していた両手を頭の横。 招き猫のポーズで喘いだ。 手淫すらしてもらえないダメネコはそれが一番ふさわしいのだと思った。
 セックスでもオナニーでもない、断続的に続く官能が、積もり積もって大きな絶頂を呼び起こす。
 シュリシュリ、上手くできればご褒美みたいに気持ち良くなり、失敗したらお仕置きされたみたいに窮して、その狭間で漂うアキラを、スリルと興奮で埋め尽くされていった。

「んきゅううう・・・・・・ ふっ・・・・・・ にぃあ・・・・・・ ぁん」

 メグルの指わっかから、ピョコピョコ顔を出す亀頭。
 惨めで、滑稽で、しかしネコミミメイドの目は怪しく鈍り、屈辱を受けたまま射精することに 感謝の念すら抱いていた。

「うーん、腕が疲れてきちゃったなぁ・・・・・・ 時間はあと30秒、かな? 急がないと、一度もイケないまま終わっちゃいますよ」

 刻一刻と迫る終了時間、アキラも逸る気持ちを抑えられない。
 イキたい、イカなきゃ、イクんだ。
 強迫観念を植え付けられた彼の表情に、メグルは満足げにうなずいていた。

「にゃ、みゃん! にゃあ! にゃあん!」

「ねえ、いい機会だから、そろそろ、はっきりしてほしいなぁ」

「ふーっ、ふ−っ、んにゃん!」

 アキラがメグルの指わっかに向けて、一生懸命腰を前後させている中、メグルは急に真面目な口調で話しかけた。

「これで射精できるようになったら、さ。 いわゆるアキラって、そういう性癖の持ち主ってことでしょう? あっ、別にわたしは気にしないからいいのよ・・・・・・ むしろ嬉しいっていうかね・・・・・・ もう、アキラは、わたしのモノでいいよね?」

 ネコミミメイドはもちろんメグルの話を聞いていたが、ゾクゾクと、ペニスの根元から亀頭の先に抜ける昂揚に身体を痙攣させている。
 それも一度だけじゃなくて、腰を動かすたびに何度も。 たった二本の指に触れるだけでペニスの神経が研ぎ澄まされて、快感が、ハンドベルのように響きつづけていた。
 
「だからさ、これからベッドの上だけじゃなくて、二人っきりの時も『仔猫ちゃん』と『飼い主さまぁ〜』って呼び合いたいな、なぁんて」

 恋人の声とともに、指わっかがきゅっと狭まる。 その瞬間、アキラの性感も最高潮に達した。

「もちろん、周りの目があるときは今まで通り『メグル』でいいけれど、心の中でちゃんと『飼い主様ぁ』って呼ぶのよ。 いい?」

「〜〜〜〜っ!?」

 興奮のあまりにアキラはもう、メグルが言い終わる前から首を縦に振っていた。 話の中身は、冷静になった後と理解することになる。
 この場では、熱い退廃的な淫夢を終わらせたくなくて、未来のことよりも、彼女に管理されながら“高み”に到達することを選んだ。 結果アキラは、卑猥な芸を覚え込まされて飼い猫となり、メグルの指わっかに向けて、本気で彼女とセックスしている気分で果てた。

「むおぉっ、んむんんっ、んっっ、むふぁっ! はにゃんんっ、ま、まだ、でる、まだ、でる、とまらな、ふにゃ! ふあああああん、にゃああん、あ、にゃあああああああ―――――っ!?」
 
 ドブリュルルッ、ビュルルル、ビュブ、ビュルルルルルルッ!

 我慢に我慢を重ねたペニスが今、コントロールを失い解放された。 赤く爛れた亀頭が一度大きく肥大したかと思いきや、一斉に飛び出した灼熱の白濁液。 メグルの肢体に降りかかる。 
 あまりに激しい射精のせいか尿道が痙攣し、長くジンシンと尾を引き、気を失いかけるほどの法悦に襲われる。こんなに気持ちの良い射精はアキラにとってはじめてのことで、メグルの言う通り、もう普通のセックスには戻れなくなったような気さえした。

「あーあ、もったいない・・・・・・子種汁・・・・・・ はぁん、全部無駄打ち・・・・・・ くすくす・・・・・・ それにしても、はぁんっ、ふふ・・・・・・ あっつくて、それにすごく濃くて・・・・・・ 元気ですね?」

「はぁ、はあ、はぁ・・・・・・ ご、ごめんなさい、にゃん。 うううっっ」

 メソメソ謝るアキラにメグルは頭を撫でて慰めている。 それは、まだプレイが終わってないことのお知らせ。
 メグルは汗に張り付いた自らの黒髪を丁寧に振り払い、下着を脱いでいく。 ブラジャーをぽいっと投げ捨て、まだ生温かさの残るショーツをわざわざ、アキラの顔にかけてくる。 それは眠くなるような優しい匂いがした。

「ねえ、見てください? アキラの白いおもらしで、わたしの身体、随分よごれちゃった。 ・・・・・・ 綺麗に、して、くれますよね?」

 白濁に塗れた豊艶な双乳を持ち上げ、邪な熱に浮かされたメグルはもう一度、より深い所へと誘う悪戯な眼差しと深みのある声。
 放心しているアキラにはもう拒否する権限はなかった。 射精したはずのペニスはまたムクムクと起き上がり、誘われるがまま彼女の元に身を寄せる。 そこが母親の次に安心できる場所であり、マゾ猫の心を喜ばせる
 アキラは健気に舌を伸ばし、一瞬、自分自身の精液を舐めるという行為に躊躇したのだが・・・・・・ おっぱいの魔力には耐えられなかった。 卑猥な液体とともに乳首にしゃぶりつき、一心不乱になって母猫の身体に吸い付いた。

「美味しい? アキラ?」

「はぁん、にゃあ・・・・・・ ひんっ・・・・・・ ふわぁあ、あ、あう・・・・・・」

 従順に、アキラは自らの粗相を舐めとる。
 ひどい味だ、しかし黒蜜のような甘さと渋柿のような味に困惑していた。
 自分の舌が可笑しくなってしまったのではないかと思ったが、メグルのモノであればなんだって口にすることができる気がした。 少なくとも、その時は。

「・・・・・・ ふふっ、今日はちゃんと一人前のメスネコになれるまで、しっかり躾けてあげますからね。 夜は、長いんですから」

「ふにゃあああああああああああん!」

 それから、何回絶頂を迎えたのかアキラにはわからない。
 ただ覚えていることと言えば、メグルのありとあらゆるところを舐めさせられ、そして「メスネコ♪」「マゾメイド♪」「ヘンタイ♪」「ヘンタイ♪」「ヘンタイ♪」と、お尻を折檻させられながら何度も耳元でささやかれた。
 意外に、悪口のボキャブラリーが少ないのだなと、メスネコでマゾメイドなヘンタイは、心の中でそう思った。





 アキラが日ごろから贔屓しているカジノ場は、絢爛豪華な造りとはまた違う、落ち着いた雰囲気のする隠れ家的なお店だった。 シックな店内は天井も高く、鏡のように磨かれた床面。 ホールの中央には円形の小ステージがあって、少人数の合奏団がゲームの邪魔にならない程度の音楽を流していた。
 ルーレット、ブラックジャック、ポーカー、クラップスなど・・・・・・ 用意された卓の数は30。 他にもお酒と、軽い食事を楽しめるだけの施設がそろっていて、ドレスコード(服装規定)もないので夜になると様々な人々が集まってくる。
 そこは、一度入ればなかなか抜け出すことの難しい、煌びやかな牢獄のような場所だった。

 メグルのアドバイスに従えば、どんなギャンブルにだって必勝できる。
 そしてこの獄中生活から脱出できると、アキラ考えた。
 多くのギャンブルはディーラーとの心理戦だ。 だが、アキラが勝負するのに選んだのは、自信が最も得意とするルーレットによる二者択一のギャンブルだった。

「ルーレットのルールはシンプルだ。 ディーラーがボールを投げ入れ、ルーレットが回る。 ボールはやがて、番号の書いてあるポケットの中に入るから、そのポケットの番号を当てるのがこのゲーム。 番号をピタリと当てたら・・・・・・ いや、余計なことは覚えなくていいや。 ポケットには番号だけでなく色がついて、それを当てることができれば、掛け金は倍になって返ってくる。 わかったか?」

 吹き抜けの二階から、メグルと二人でルーレットのテーブルを見下ろす。
 一喜一憂しているお客の声とともに、ディーラーの手により、チップが目まぐるしく移動していた。

「ええっと、ディーラーが投げ入れたボールが、ルーレットのどの色に落ちるのかを予想して当てればいいってことでですね」

「そういうことだ」

 今は作戦会議中。アキラはルーレットというギャンブルのカラクリを、手短に説明した。

「でもそれって、完全に運じゃないですか? ディーラー本人さえわからないことはわたしでもわからないです」

 メグルの慧眼はいわば占いでもなければ予言でもなく、あくまで相手のウソを見抜く技術だった

「・・・・・・ 実はちょっと違うんだ」

「え?」

 メグルは目を大きくして聞き返した

「ルーレットのディーラーは、『赤』か『黒』か、どちらに入るのかあらかじめわかっている。 もちろんイカサマじゃない。 というよりも、ディーラーは狙ったポケットに入れられる技術があるんだ」

「本当ですか?」

 下から顔を覗き込んでくるメグルに、少しだけドキっとするアキラ。

「うん、俺も最初は信じられなくて、試しにやったことがあるんだけど――」

「やったことあるんだ?」

「もちろん、聞いた話をそのまま信じるほど、俺は素直じゃない。 俺の場合は、一年ほど練習したらかなりの確率でボールをコントロールできるようになった。 やつらはプロだし、もっと正確だと思う」

 アキラはじっとディーラーの動きを観察していたが、彼の目には、どのようにボールを正確にコントロールしているのか、そのクセとコツはわからなかった。

「つまり、わたしにプロの人の技を見破れっていうんですか? あの、それって大丈夫? あとで怖いお兄さんとか出てきたりしない?」

 メグルは真剣に心配していたが、古典的な展開に、アキラは少し笑った。

「ふふっ。 心配しなくても、ディーラーのクセを見抜いたりするのは別にイカサマにはならない。 ・・・・・・ まあ、やりすぎは、追い出されるかもしれないけど」

「ちょ、ちょっと怖いこと言わないでくださいよ」

「それでも、できないって言わないことは、やってくれるんだろ? 」

「う゛っ・・・・・・」

 拒否することは許さない。
 そのための“取り引き”はもう、昨晩の密事に済ませているハズだった。

「ま、まあ、何度かディーラーさんの動きを見せてもらって、時間をもらえれば・・・・・・ うーん」

 顎に指を当て、少しの間考え込む仕草をしてから。メグルは確かめるように尋ねた。

「ですけど、万が一ディーラーがわたしたちの作戦に気づいたら? 例えば、ディーラーが目をつぶって、本当に運に任せて勝負したら?」

「それは絶対ない」

「どうしてですか?」

 アキラは勝負師として、一年近く、戦い続けているあるディーラーの姿を思い描いた。

「ディーラーはプロだ。 あの仕事にプライドを持っている。 命を賭けている、と言ってもいい。 仮に、自分の技が見抜かれたと言って、逃げるような真似はしない・・・・・・ たぶん」

 少なくとも、アキラがいつも相手にしているディーラーはそんなことはしない。
 嫌味なほど慇懃で、寡黙で、ひげを蓄えた初老のディーラー。 言葉を交わさずともわかる。 彼は常にフェアで、紳士だった。 ルーレットの勝敗を運に任せることなどありえない。 申し訳なく思うが、今回はアキラ自身を救うために、その生真面目さを利用させてもらうことにした。

「それじゃあ、俺はちょっと換金しにいってくるから、ここで観察しといてくれた」

「うん、わかりました。 ついでになにか飲み物をもらってきてもいい?」

「お酒?」

「ううん、ジュースで」

「わかった、けど少し時間かかるぞ?」

「うん、お願い」

 いつも通りのメグルのことを頼もしく思いながら、アキラは覚悟してしばらく席を空ける。 その手にはお金の入った袋―― 借金取りに渡すはずの返済金とその利子があって、いわば命の値段だ。 それらをすべてチップに換金すると、いよいよもう引けなくなった。
 その重みをひしひしと感じながら、メグルのための飲み物も運ぶ。
 
(・・・・・・ 今日だ、今日しかない・・・・・・ 勝負をかけるなら、今、この日!)

 決意を固めるアキラ。
 心臓の音色がどんどん加速している。
 初めて出逢った時から互いに惹かれあい、その日のうちに夜を共にし、激しく愛し合った。ちょっと意地悪なところもあるが肉体的にも精神的にも相性が良く、自分のことを一番よくわかってくれる人だと思っていた。 しかも、破綻する一歩手前の自分を救ってくれるのだから、彼女は幸運の女神といっても差し支えない。

(見ていろよ・・・・・・ あの余裕ぶった顔、青ざめさせてやる)

 アキラを笑う面々の貌が浮かんでくる。
 借金取りの男たち、人攫いのチトセ、アキラのことをしょぼい博打しかできない臆病者と嘲笑する知人たち、あるいはまた別の誰かに向かって睨みを効かせる。
 平静ではなかった。
 しかし人生が変わるほどの大金と、さらなるビッグチャンスを目の前にして、平静でなくて当然。 平静のままでは大きな勝負はできない。
 アキラは異常ともいえる興奮熱と感動を胸に秘めたまま戻る、その足に迷いはない。

(・・・・・・ ん、あの女)

 眼前に見えたのは、チトセだった。
 彼女は、アキラの金のなる木に―― もとい、メグルとともにいる。
 そして、チトセはメグルよりも先にアキラに気づき、ニヤリ。 あろうことか、彼の恋人に手に持っていたお酒を浴びせた。

「きゃっ!?」

(な、なにぃ―― っ!?)

 慌てて駆け寄るアキラ。
 それに対し、チトセはなんの悪びれた素振りを見せず、興味津々とアキラの顔を伺っている。

「へー、アンタでも人前で表情を変えることがあるんだな。 よっぽどその女のことが大切なんだと見た」

 チトセからあまり酒の匂いがしない。 酔っぱらいが暴挙をしているわけではないようだった、なおさらたちが悪い。

「なにがしたいんだ、君は?」

「べつに・・・・・・ アタシはただ、貧乏神にいつまでもくっついていると、どうなっても知らねえぞって、警告、したんだよ」

「・・・・・・ っ」

 頭の中の温度が急速に下がっていく。 眦を釣り上げて、彼女の盾になるアキラではあったが、

「やめて、アキラくん」

 メグルがアキラの腕をつかむ。 彼女はそのまま自分の足で立ち上がると、逆にアキラを引っ張っていく。

「行きましょう・・・・・・ ねっ、わたしたちが本気にならないといけないのは、ここじゃないでしょう?」

「・・・・・・」

 優しく微笑むメグルに、アキラは黙ってついていく
 一世一代のギャンブルの前に不純な気持ちがまた入り混じる。





 それはいつものごとく、慇懃なディーラーの一言からはじまった。

「ゲーム、スタートさせていただきます」

 からからと、ボールが巡る音が鳴る。
 ルーレットでは、イカサマは不可能だと言われている。
 それはディーラーが玉をルーレットに投げ入れた後に、プレイヤーであるお客がベッドを選択することができるためだが、メグルのそれは正確だった。

「『赤』よ」

 ルーレットが回っている最中、メグルが小声で囁く。 恋人のアドバイスに従いアキラは、『赤』のテーブルにチップをベッドした。
 緊張と興奮をポーカーフェイスの裏に隠し、彼はいつものように爪を甘く噛む。 ルーレットではなく、真剣なメグルの表情を静かに伺っているのだった。
 その後。
 ルーレットの玉が転げ落ちた先は、メグルの言う通り『赤』のポケットだった。

「―― 『赤』38番」

 ディーラーが確定を宣言すると、ベッドしていた金額が倍になって戻ってくる。
 ほっと安堵の息をついた後、二人はお互いに顔を見合って、笑い合う。


 さらに次のゲームでも――

「次は、『黒』・・・・・・」

 アキラは躊躇することなく『黒』のテーブルにベッドする。 さきほどよりも掛け金を上げて・・・・・・ そのままルーレットの玉は、『黒』のポケットに納まった。

「―― 黒、17番」

 ディーラーの声が上がり、メグルは手を叩いて喜んでいた。


 そして3回目のゲーム――

「これも、『黒』・・・・・・」

 段々と自信を持ってアドバイスしてくれる恋人に、アキラは絶対の信頼を寄せていた。 当然ここも『黒』のテーブルにベッドし、的中。 掛け金がさらに倍になって増えた。
 すると、多くの人たちがいる中メグルが抱きついてきて、アキラは多少の気恥ずかしさを我慢して、彼女と共に歓びを分かち合う。
 順調だった。
 しかし、ここまではあくまで前座、いよいよ夜が熱くなる。


 4回目―― 
 慇懃すぎるディーラーが、こちらの様子を伺っている。
 おそらく気のせいではないだろう。 3連続的中・・・・・・ 確率で言えば10%強。 安くない掛け金。 ありえないことではないが、警戒し始めても可笑しくない。 普段手堅い賭け方しかしないアキラを知っているのであれば、なおさら。 今日は豪胆すぎる。
 慎重なディーラーは、少し間を置いてからルーレットに球を投げ入れた。 これでも少なくともあと一勝はとれると、踏んだのだが、

「・・・・・・」

「・・・・・・?」

 『赤』と『黒』、これまですぐにボールが落ちる『色』を教えてくれるメグルだったが、このときはじめて迷っているようだった。 感情の読めない顔をし、固まっている。

(どうした、メグル・・・・・・ なにしているんだ)

 焦り、そして多少のイラつき。
 しかし、アキラは決して表情を崩してはいけなかった。

(グズグズするな、メグル。 早くしてくれ)

 ベッドの締め切り時間が迫っていた。
 アキラ自身、ここまで順調に着すぎているせいか、いつもより熱くなっているのがわかる。
 この作戦のキモは当然メグルの慧眼だ。 彼女がディーラーの動きを見て、『赤』か『黒』かを決めてもらわなければ、ベッドはできない。

「『赤』・・・・・・」

(―― っ!?)

 ようやく、メグルが『答えの色』を教えてくれた。
 制限時間ギリギリ。
 一瞬躊躇したが、アキラは急ぐ。
 彼は一抹の不安を抱きながらも、『赤』にベッドした。 それも少なくない額で、ディーラーだけでなく、同じルーレットのプレイヤーたちの関心も、アキラたちに集まった。

(・・・・・・ 危ない勝負だ、けど、ここは譲れない。 飛び越えないと)

 外れてしまえばこれまで得たお金がゼロになってしまうだけでなく、作戦そのものが破たんしてしまう。 しかし、逆にここをとれば一気に借金返済の道のりが大きく近づく。

(イケる、イケる、イケる・・・・・・)

 緊張の一瞬。
 アキラはやはりルーレットの方には目を向けず、最初からずっとメグルを見ていた。
 そのメグルは祈るように目を閉じていた。

「―― 『赤』だ、また当てやがった!」

 ディーラーの声よりも先に、隣のお客が声を大きくして叫んだ。
 ゲロ吐くほどの勝利。
 羨望の視線を一身に受けて、賭け金の倍。 大金が流れ込んでくるのにもかかわらず、アキラはニコリともせず、ほっと息をついたばかりのメグルと目を合わせる。 少しだけ、彼女を責めるような目をしたのかもしれない。 どうしてアドバイスが遅れたのか、その真意を確かめたかったから。

「・・・・・・ ごめんなさい、ちょっと目にゴミが入っちゃって」

「・・・・・・」

 アキラはじーっと、能面のような表情を浮かべて、メグルは痛ましいほどに反省しきりだった。もっと恋人のことを気にかけてあげるべきだった。
 けれど、アキラは、別にメグル責めているつもりはなかった。
 ただ、迷っていた。

(・・・・・・ ここまでか?)

 このままゲームを続けていいのかどうか、ここが引きどころではないかという最後の選択肢。
 これまでは『赤』か『黒』か、なんとか的中してきたが、今回はじめて危うさが出た。
 メグルの慧眼は確かなものだが、そう何度も使える話ではないことがわかった。 ディーラーも不審に思っているし、やはりギャンブルはそんなに甘くない。 ネタがバレてしまえば、いくらでも邪魔をすることができる。
 それに借金完済にいたらなくても、十分な大金を得た。 もう少しメグルと甘い『夢』の続きを見ることができる。 ここで帰ったところで、ギャラリーは盛り下がるかもしれないが、勝ち逃げだというやつはいないだろう。 むしろ英断だったと褒めるものもいるかもしれない。 そして昨日までのアキラであれば、ここは引き際だろうと冷静に判断し、すぐにそれを実行していたに違いなかった。

(・・・・・・)

 しかし、アキラはまだ、ギャンブルの席についている。

(でも、あと一回だけなら――)

 ぽつりと、欲望が萌芽する。

(あと一回、あと一回だけ勝てば、俺は助かるんだ・・・・・・)

 幸か不幸か、次も勝てば借金完済。 しかし負ければ、破産だ。 それでも――

(今ならまだ、メグルの目が通用する、と思う。 ディーラー側が疑心暗鬼になっている今が・・・・・・ 最大のチャンスじゃないだろうか)

 アキラは、誰にも気づかれないうちに、呼吸を整える。
 目の前の大金に臆して、両手に脂汗が滲んでいることがわからなくなるほど、感覚が鈍くなっていることを知る。
 それにここはとても息苦しい・・・・・・

「・・・・・・ アキラくん?」

 いつまでも黙り込んでいるアキラに、メグルが声をかけてくる。
 それだけでも少し気分が良くなった気がした。

「もしかして、迷っている?」

「・・・・・・ うん」

「そっか」

 優しい恋人は、それ以上アキラになにもいわなかった。
 ・・・・・・ 結局、次のゲームは流して、席についたまま、待機することにした。

「『黒』」

 メグルはアキラがベッドしないことを知ったうえで『色』を宣言した。 見事に当てたけれども、それはなんの参考にもならない。
 今、最も必要なのは、アキラの決断だった。

(人、増えてきたな・・・・・・)

 雑音がうるさい。
 アキラとメグルの活躍に場内が盛り上がってきて、ギャラリーが突然増えた。気安く話しかけてくるやつもいたが全部無視する。
 彼らは笑顔でアキラを応援してくれているが、所詮は他人事。 派手な散財をするか、あるいはヒトヤマ当てるか、そのどちらかを期待している。
 アキラが逃げないように、監視する借金取りの目もある。
 また、その中には、イヤな女の顔もあった。

(―― チトセか、なんて、しつこい)

 彼女は向かいのテーブルにつき、肩肘をついてアキラたちの様子を見守る彼女。 お酒を嗜みながら、話しかけてくる。
 そのときメグルは顔を伏せて、アキラの腕に抱きつく。きっと、突然水を浴びせてきた彼女のことが怖いのだろうと、思うことにした。

「ツイてる、みたいだな」

「おかげさまで・・・・・・ ソッチはどうにもツキに見放されているみたいだけど?」

 アキラはメグルを守りながら、チトセの残りチップを一瞥し、抑揚のない声で皮肉った。

「ふふっ、おかげさまでな」

 図星を突かれてもチトセは別段悔しがるそぶりは見せず、八重歯をぎらつかせながらニヒルに笑った。 事の成り行きを楽しむギャラリーと同じで、彼女の関心はアキラにあり、その点では敵でも味方でもないのかもしれない。

「しょうがないな、それじゃあ、ひとつ。 景気のいいやつ、リクエストするかな」

「なに」

 おもむろにチトセは手を上げる。
 するとそれまでカジノ場に流れていたムーディーな音楽は一変し、軽快なダンスミュージックへと移り変わった。 チトセが持つ“力”というものを象徴する光景だった。
 さらにうるさくなって、忌々しくアキラは彼女を睨む。

「なんだよ? この方が、ラストバトルって感じがするだろ?」

 ―― どうあがいても逃がさない、彼女の目がそう言っていた。

「でも、アタシにも、ようやくわかったよ」

「なにが・・・・・・?」

「いや、なんでアンタがそんなにもその娘のことを大事にするのか、疑問だったんだよ。 そうかそうか、アンタにとって、その娘はアゲマンってワケなんだ」

 チトセは隠れるメグルの方に視線を映したが、アキラはそれを遮るように彼女の前にたちはだかった。

「無粋なやつ、幸運の女神、と言ってくれないか?」

「似たようなもんだろ? ・・・・・・ でも、いつまで持つかな、その幸運?」

(・・・・・・幸運、ね)

 ―― やはり、勝負すべきだとアキラの第六感は言っている。

 不敵に微笑むチトセはまだ、アキラの“真意”を見抜いてはいない。 今しかない。
きっとこの場に、自分と、チトセと、メグルがいることは、運命なのだ。逆にこのチャンスを逃せば、きっともう勝負できる機会は巡っては来ない、そう思った。

「俺は、こんなところで、終わるわけにはいかないんだ」

 それは自分自身へのつぶやき。 あるいは、叱咤、鼓舞、自己催眠。

「まだまだもっと、やりたいことがある。 見たいものがたくさんある、美味しいものを食べて、10年後に今日この日のことを盛大に笑って過ごしたい。 だから・・・・・・」

 拳を握る。勇気が湧いてくる。 ディーラーの顔が、いつもよりはっきりと見えた。

「メグル」

「なに?」

「手、握っててもらっても、いいか?」

「うん・・・・・・」

 ぎゅっと恋人の手を握り締める。
 こんな時だからこそ彼女の手触りが心地よく感じ、アキラは安心したように気持ちを落ち着けた。

「ん、やっとやる気になったか・・・・・・?」

 たくさんの視線が集中する中で、二人の少女だけは本当のアキラを見ているような気がした。
 クールに見て、本当は誰よりも臆病な心を持った少年が、おそらくは最初で最後の決断を決めるその瞬間を、黙って視ていた。

「ネクスト、ゲーム」

 慇懃なディーラーが一礼し、ボールを投げ入れる構えをする。
 刹那にアキラは、メグルにアイコンタクトを送った。もう迷いは完全に吹っ切れていた。

(勝負だ。 メグル、次は、かけるぞ、うん)

(うん・・・・・・)

 メグルはすぐに察してくれている。 とても心強い。
 1秒にも満たない時間の中で完璧に意思疎通を完了させ、メグルはディーラーの動きを、アキラは積み上げられたチップを手元に寄せる。
 偶然かどうかミュージックも最高潮の盛り上がりにさしかかって、固唾を呑んで見守る群々の息遣いでルーレットのテーブルが揺れている気がした。

 ――そして、アキラの運命を決めるルーレットが回り始めた。

 からからと小気味よい音色を奏でて、38あるポケットの上を白いボールが巡る。
 それは星の数ほどと眺めてきた光景だったはずなのに、『赤』と『黒』の回転模様が神々しく映った。 
 そのルーレットには、おもちゃ箱のような驚きと、宝石箱のような華があった。 もっと幼い頃のアキラは、それこそ何時間だって飽きずに見続けられることができた。 ヤニ臭さとお酒の香りすら楽しみにして、いつまでもルーレットの回転に魅入っていた少年時代。
 しかし、アキラはその最期となるかもしれない時間を、恋人の横顔を見つめることに費やした。 流れるような黒髪、まっすぐな眼差し、淡い色合いをした唇を、夜の情事とともに記憶に焼きつける。それは男として、当然のことだった。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 アキラは待つ。 飼い主であるメグルが、ルーレットの答えを出してくれる瞬間を、いい子にして待っている。 その時間さえ、愛おしく感じられた。

「・・・・・・ 『赤』よ」

 彼女は言った。
 アキラはそれを信じて、全額ベッドする。
 もう迷いはなかった。
 後はただ、待つばかり。 “カジノの女王”が、自分に微笑んでくれることを信じて、恋人から手を放す。
 チトセの不敵な笑みなど気にもしない。
 呼吸するのも忘れて、目の前で駆け巡るルーレットとボールに見入ったアキラは、恋人と交わすはずだった約束のことを、自然と思い返していた。



(―― えっ、引っ越しですか?)

(うん、前からさ、死んだ親父の友人に、誘われていたんだ。 コッチで働かないかって)

(興味ある、って感じですね?)

(まあね。 やりがいのある仕事だと思っている。 ここよりもずっと静かなところで、なにかと不便なところもあるかもしれないけれど、二人で暮らす分にはいいところで)

(それって、どういう意味ですか?)

(だからその・・・・・・ 考えてほしいっていうか、もし借金が全部返せるようなことになったらさ・・・・・・俺と・・・・・・)



 からん、ころん・・・・・・
 ルーレットが、止まる。
 それでアキラの夢も覚めた。

「―― 『黒』、4番」

 ディーラーが決着を宣言し、周囲がざわめきたつ。 しかしアキラにはもう、なにも聞こえなかった。
 何度見直しても、『クロ』という、『赤』ではないという結果は変わらない。

「な、なんだよ、これ・・・・・・」

 声を詰まらせる。

「ウソだ、こんなの、なにかの間違いだ・・・・・・」

 顔面は蒼白。
 唇はわななき、目は驚きに見開かれている。

「おまっ、なんで、なんで・・・・・・ 」

 ―― しかしそれは、アキラではなかった。 チトセだ。
 アキラは今、圧倒的な歓声と拍手に包まれていて、溢れるほどの報酬に埋め尽くされている。

「なあ、おい! 答えろ、アキラ! アンタなんで・・・・・・ なんで、『黒』に賭けていたんだよ!」

「ふ、ふふ、ふふふふふふふ」

 チトセは猛虎の形相でアキラの胸倉をつかみ、そしてルーレットのテーブルに激しく叩きたつけた。 騒いでいた観客もしんっと静まり返り、次のゲームは中断、大勝を収めたアキラのチップが散り散りになって崩れ落ちる。
 それでもなお、チトセのその手は震えあがり、未だ『クロ』と見破ったアキラへの畏怖と怒りが収まらない。 こんなこと、シナリオにはなかったはずなのに・・・・・・

「メグルは、『赤』 ・・・・・・『赤』っていったんだぞっ、おい! アキラ! それなのにどうして逆を賭けた!? ええっ! なんで、バレた・・・・・・?」

「・・・・・・ チトセの馬鹿」

 自ら白状してしまったチトセに、メグルは小さくつぶやいた。
 その瞬間、彼女たちがグルだったことは、誰の目にも明らかとなる、

「ふぅぅぅ 」

 ルーレットのテーブルをベッドに、気持ちのいい伸びをするアキラ。 煌びやかなシャンデリアを眺めながら、両手で小さなガッツポーズをつくる。
 ドロに塗れた身体が一瞬で洗い流され、一日・・・・・・、いや一年ぶりに空気を吸い込んだような充実した気分。
 大金を手にして借金を返済した歓びも、恋人が裏切り者だったという哀しみもなく、チトセ叩きのめされた今でも、誰も恨む気持ちもない。 ただ、満足げに笑った。

「俺の勝ち、君たちの負けだよ」

「あ?」

 チトセの肩がぴくんと跳ねた。

「・・・・・・ 最初にあった時、君は、こういった。 『アタシ“たち”は、必ず金を回収するってな』、そこでピンと来たんだ」

 アキラはゆっくりと起き上がり、チトセによって滅茶苦茶に散りばったチップを拾い集めながら、また話をした。

「物騒な連中の交渉事には、『脅し役』と『なだめ役』がいるって、そんな話を聞いたことがあった。 チトセがその『脅し役』というのなら、『なだめ役』はいったい誰なんだろうって考えてたらさ・・・・・・」

 ガンを飛ばしてくるチトセには目もくれず、アキラはメグルを注視していた。 俯いたまま動かない彼女は、その感情さえまるでわからなかった。

「その晩のことだ。 メグルの手首から、君が食べたのと同じストロベリーのパフェの匂いがした。 仕事だ、なんて嘘ついて。 誰かと一緒に食べたのは見え見え。 そういえば、『ああいうお店には一人でははいりにくい、誰かと一緒でないと』って、これもチトセ、君の言葉だったな」

「・・・・・・ ちっ」

 苛立つチトセに、黙り込むメグル、二人を目前にして堂々と、アキラは膝を組んで楽に座った。チップもう一枚残らず、ちゃんと元の所に積み上げられていた。

「けど、俺もそのときはまだ少し疑っていた程度なんだけど・・・・・・ 確信を持ったのはさっきの茶番だ」

「茶番?」

「君がメグルにお酒を浴びせた件だよ。 君、上手くごまかしたつもりだろうけど、あれって、おかしいよな? 借金取りの手にナイフを突き立てる様な危ない女が、なんでそんな優しいことしただ? コップごとぶつけて高笑いを決め込むのが、理想的な『脅し役』ってものだろう?」

 スラスラと言葉が出てくる。
 これらのことすべて、頭で考えていたわけではない。 ただ、日々のギャンブルで培われた勝負感が、事実に疑問符をつけたのだった。

「仲間だから躊躇したのか? それとも、目を傷つけたら仕事に支障がでるとか考えたのか? どっちにしてもヘマしたな。 きっと君、その仕事、向いてないよ」

「っっっっ!?」

 ネチネチと、相手の失敗に付け入るアキラはひどく陰湿だったが、チトセには十分効果があった。 見る見るうちに顔が真っ赤に染まり、爆発寸前、怒りに震える拳を抱きかかえる。
 それでもアキラが彼女を臆する理由は何一つない。
 チトセは苦し紛れに言葉を連発する。

「じゃあなんで・・・・・・ なんで途中まで、チトセの指示通り動いたんだよ? 可笑しいじゃないか、メグルが『逆の色』を言ったのは最後の勝負だけだ。 他は全部当ててきた。 メグルのことを怪しいってわかっていたのなら、なんで4回も合わせた? いい加減なこと言いやがって、イカサマでもしてるんじゃないのか!

「馬鹿だなぁ、君」

 やれやれと、アキラは呆れて首を横に振った。

「大金を手にするチャンスが『勝手に』舞い込んできたんだ、これを利用しない手はないだろう? 俺には『赤』が来るのか、『黒』が来るのか、わからないけど、メグルが、俺に本当のことを言っているかどうかなんて、すぐにわかる」

「・・・・・・ ウソだ」

「うん?」

 久しぶりにその声を効いたので、アキラはメグルに近づき、そっと囁きかける。

「本当さ、メグル。 だって俺たち、恋人同士だったろ? ・・・・・・ オカマ掘られて、ネコのコスプレ、ケツの穴まで舐めた仲だ、それくらいわかって当然じゃないか」

 メグルは目を瞑り、まだ表情を隠している。 けれど、ほんの少しだけ悔しそうに、注意深く見なければ気づけないほど小さく、睫毛が震えている。 言い返すこともできずに、ただ、煽り口調に耐え忍んでいた。
 そんな恋人の唯一無二の表情を見ることが、アキラの最高のエクスタシー。
 幼稚で、惨めで、マゾヒスティックな自分を知りながらも、サディスティックな心が抑えられない。 彼の危険なギャンブルは、愛欲に堕ちるギリギリのところで勝利をもぎ取り、スリルと興奮を堪能する。
 その邪悪な笑い声に、メグルは、またゆっくりと口を開いて、

「ひとつだけ、教えて」

「・・・・・・ うん?」

「万が一、わたしがウソをつかないで、『赤』がきていたらどうするの? あなたはすべてを失って、恋人まで裏切って、そしたらあなたいったい、どうするつもりだったの?」

「そうだな・・・・・・」

 あくまで平静を保とうとするメグルにアキラは、しばらく指を甘噛みしながら考えて、それからふっと自嘲気味に言った。

「たぶんキミに、泣いて、許しを乞うたかな・・・・・・ いつものように『にゃあにゃあ』ってすり寄ってね」

 ネコミミも、シッポも、鈴付きのチョーカーもなかったけれども、アキラはにゃんこのポーズ。 挑発的に腰をくねらせ、ハートマークが飛び出るほどの可愛らしいウインクした。
 周囲は気でも狂ったかと唖然失笑となったが、真に驚くのはその後のこと。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 メグルが1か月という時間をかけて調教してきた可愛らしい仔猫ちゃんは、彼女の目の前で俗物たちの客寄せピエロとなることを選んだ。
 自分が積み上げてきたモノが台無しにされること、それが彼女にとって最大の屈辱になることを、アキラは恋人だから知っていた。
 だから、



「・・・・・・ チョーシに・・・・・・ のって・・・・・・ っっっ、・・・・・・ ドグサレネコがっ」



 冷たく、仄暗い沼の底から這い出るような怨嗟の声。
 口角筋が痙攣し。
 血がにじむほど拳を握りしめる。
 激しい毛細血管が浮き出て。
 メグルは、彼女の人相が変わるほどおどろおどろしい幽鬼を憑依させ、黒目がちの瞳が大きく塗りつぶされていた。

「おー、怖い怖い。 でも俺がネコなら、君は負けイヌだ」

 アキラは気圧されることなく言い返す。

「―― ぐっ! バカチトセ! コイツを捕獲しなさい! 早く!」

「ああ、喜んでやってやるぜ! コケにしやがって、アンタは、絶対、許さない!」

 人さらいたちは普段、こんな人目につく場所で仕事はしない。
 目撃者がいるのは事後処理に大変だし、なによりも――

「申し訳ございませんお客様。 店内で武器のご使用は控えていただけませんか?」

「な、なんで、アンタが?」

 吹き矢を持った手をとられ、驚きに見開かれるチトセの目。
 ―― 沈黙を守ってきた慇懃なディーラーが、行く手を阻む。

「おい、勝負時に余所見は厳禁だ?」

「――― っ!?」

 アキラは好機を見逃さず、チトセに向かって往復ビンタ。 乾いた音と、チトセの身体が床に倒れ込んだときの鈍い音が響きわたった。
 そして一度倒れたらオシマイ。
 カジノ場のスタッフたちに取り押さえられ、彼女は強制的に退出。 最後まで、アキラに対して闘争心をむき出しに、吠え続けていた。

「くっそぉ、ふざけんな、ふざけんなくそっ! アキラ、オマエいつか、ぜったいかならず・・・・・・
うおおおおおおおおおっ!」

「何をやっても上手くいかないもんさ、ツイていないときは特にな」

 ―― そしてメグルもまた、アキラの背後から忍び寄っていた。

「おっと、あぶないな」

「ひゃっ――!」

 酒のボトルを寸前でかわし、アキラは容易にその足を引っ掻け、メグルを転倒させる。 彼女が床に手をついて跪く姿は初めて見た。

「完全に運動不足だな、メグル。 俺、そんなにノロマじゃないし、毎日エッチなことばっかり考えているからそうなるんだ」

 いつもはずっと背が高くて見上げてばかりいたメグルを、アキラは上から目線で説教を垂れる。それもまた、滑稽で、清々しい。
 彼女が手にしていたボトルを開け、頭から浴びるように酒を浴びせ続けると、周りから拍手喝さいが巻き起こる。
 ビショビショに濡れたかつての恋人に向かって、アキラは。かつて約束しようとしていたことを思い出す。

「メグル」

「・・・・・・」

 アキラの呼び掛けに、メグルは反応しようとしない。
 にもかかわらず、アキラは話す。

「この街を出るっていう話が、あっただろう? 親父の友達の仕事を手伝うって話・・・・・・ アレな。考えたんだが・・・・・・ やっぱり、一人で行くことにするよ・・・・・・」

 彼女がその話を覚えているかどうかはわからない。
 けれども、もう関係ない。
 この国では、ギャンブルは紳士・淑女の嗜みに数えられているのだから。
 



 ―― 数刻後。
 大騒動となった後のこと、今はまた静かな音楽が流れている。
 借金を完済したはずのアキラは、まだカジノ場にいた。
 
「・・・・・・」

「いらっしゃいませ」

 ルーレットのテーブルに近づくアキラ。 閉店間際のせいか他に客はおらず、しかし彼は席にはつかなくて、じっと慇懃なディーラーを見つめていた。

「さっきはどうも」

 硬い表情のまま、アキラは軽く会釈した。
 襲い掛かってきたチトセを止めてくれたお礼と、その理由を確かめるために。

「・・・・・・ あんたが、仕事のこと以外でしゃべったところ、初めて見た」

「お客様には日頃からチップをもらいすぎておりましたので、ほんの気持ちです」

「ふーん」

 納得するのに十分な理由ではなかったかが・・・・・・

「ひと勝負、していきませんか?」

 ディーラーは穏やかに誘ってきた。

「悪いが、もう本当にお金がないんだ。 全部返済に回してしまったから」

 そんなアキラの返答を予期していたかのように、ディーラーはチップを1本、差し出す。

「これは、わたしの驕りです。どうぞ使ってください」

「いいのか?」

「ええ」

 アキラは小さく微笑んで、そのチップを一度は手元に寄せたが・・・・・・ 逡巡した後、ディーラーに返した。

「・・・・・・ やっぱり、やめておくよ」

「なぜです?」

「カジノはもうこりごりだ。 それに、あんたにはもう借りをつくりたくないんだ。 ・・・・・・ 借金取りの、親分さん」

 それだけ言って、アキラは静かにその場を後にした。
 残されたディーラーはただ一人。
 少しだけ寂しそうにチップを回収すると、お客もいないのにルーレットを回し、いつものように馴れた手つきでボールを投入した。 そしてボールがポケットに納まるのを待たずして、ディーラーもまたその場を立ち去った。
 『赤』か、『黒』か。
 最後のボールの行方は・・・・・・ 誰にもわからない。






 ―― 別の日のメグルとチトセ。

「うっわー、おまっ、まだ荒れているのかよ。 おいメグル〜、メグル、起きているのか?」

「・・・・・・ ああ、チトセ、来てたの」

「来てたのって、オマエなぁ。 昨日あれだけ念押ししたのに、約束の時間になってもちっともこないから心配で・・・・・・ っていうか、片っ端からネコ(のヌイグルミ)をバラすのやめろよ、可哀そうじゃないか」

「ネコが?」

「掃除する宿屋のおばちゃんが、だ」

「あ、そう」

「ったく、前回のことまだ引きずっているのか? アレは全部アタシのヘマだったわけなんだし、別にメグルがへこむことはないだろう」

「・・・・・・。 そうじゃないのよ、チトセ」

「なに?」

「一か月よ、一か月。 それだけの時間あったのに、何度も犯したのに、あの子を堕とせなかった。 あんなに激しく可愛がったのに、まさか、わたしを裏切るなんて・・・・・・」

「・・・・・・ つまり、飼いネコに手を噛まれたってことだよな?」

「・・・・・・ 猫、かぶってたことよ」

「はっ。 なんだ、結構余裕出てきたじゃないか。 仕事、またはじめられそうか?」

「うーん、どうしようかなぁ。 まだちょっと、やる気が・・・・・・」

「あのー、お話中のところすいません。 部屋の掃除がしたいんですけど?」

「あ」

「お」

「・・・・・・? どうしました? 僕の顔に、なにかついてます?」

「いいや、なんというかその、カワイイ顔した男の子だなぁ、と思ってさ・・・・・・ なあ、メグル?」

「ふ、ふふ、そうね。 とても、悪くない・・・・・・」