オムツでフラワーガール
時は20XX年。日本。
結婚年齢は大幅に引き下げられ、同じく男同士・女同士の同性結婚も一般的に知られるようになった。
だが法律で認められるようになったとはいえ、男の夢――親子ほど年齢の離れた年の差婚が急増するわけではなく、普通に学生結婚や、10代で子供を産む家庭が増えていき、日本は新たな転換期を迎えていた。
湯川叶(かなえ)は男である。
その日は従妹から大事な話があるからと言われ、妹の杏樹(あんじゅ)とともに、4LDKの一軒家に訪れていた。
高い吹き抜けがあるリビングのソファーに座り、お茶を一杯。
従妹のリリナとは、久しぶりの再会だった。
「――け、結婚っ?リリナちゃんが!?」
叶は驚き、そして目を丸くした。
「でも、キミはまだ小学生じゃないか」
最後にリリナとあったとき、彼女はまだ平仮名もうまく書けていなかった。
しかし、今ではもう結婚ができる年齢。
この世界ではそれが認められているとしても、恋人すらいたことがない叶にとっては青天の霹靂。とても信じられなかった。
「ちなみにだけど、相手はどんな人?年上、だよね?まさか自分の親よりも年上ってことはさすがにない……?本当に、信用できる人なのかな?お互いの両親はちゃんと納得したの?」
政略結婚。結婚詐欺。叶は叶なりにリリナのことを思って、しかし頭にはネガティブなイメージが浮かぶ、。
「そんなに心配しなくても、相手は同じクラスのニノちゃんです。実はわたしたち、去年からお付き合いしていて、フツーに恋愛結婚ですよ。お母さんも、認めてくれています」
「――でも、ニノちゃんってことは、相手も女の子なんだろ?」
「はい」
さらに叶が驚きまごつくと、見かねた妹の杏樹が二人の間に入ってきた。
「兄さん。同性同士の結婚なんて、今どき珍しくないんだよ」
「そうかもしれないけど、おまえ」
声を潜める兄を無視して、杏樹はもうリリナの方を向いていた。 大人としての見本を示すみたいに、彼女の手を取り優しく微笑む。
「……リリナちゃん、結婚おめでとう。あの小さかったリリナちゃんに先を越されるなんて思ってもみなかったけれど、リリナちゃんはしっかり者だし、末永くお幸せにね」
「ありがとう、杏樹さん。えへへ」
まだまだ子供らしさが残るリリナが、気恥しそうに微笑んだ。
「改まって言われるとなんだか照れくさいですね。まだまだ未熟者ですけど、これからもよろしくお願いします」
そのときになってようやく、叶は気づく。
自分がまだ、リリナに「おめでとう」の一言も言ってないことを。
「お、俺も――」
「ん?」
「どうしたの?」
言うべきタイミングを逃してしまった叶のことを、従妹と妹が繁々と様子をうかがってくる。わざとらしく言いにくい雰囲気をつくってくる中、それでも言う。
「と、とりあえずは、俺からも……その、おめでとう」
「はい、叶さんも、ありがとうございます」
2回目。
杏樹に祝福されたときと違い、リリナも今度は快活な笑顔を返してくる。しかし、彼女が座るすぐ横には赤いランドセルが置かれ、6年間使い続けているとはいえまだ綺麗なまま。とてもこれから嫁入りする人の持ち物とは思えない。
「それでですね、今日2人に来てもらったのは他でもないのですが」
リリナはソファーを座り直して、ゆっくりと語り出した。
「急なことですけど、来月には結婚式を開くことになっているんです。そこで、手伝っていただきたいことがあるんです」
兄妹は顔を見合わせると、やはり叶の方から質問した。
「手伝うって、それ、具体的にはどういう意味なのかな?」
「杏樹ちゃんには式のお手伝いを、叶さんは、わたしと一緒にバージンロードを歩いてほしいんです」
「……ああ、なるほど、そういうことか」
少し考えた後、そこで叶はピンっと閃いた。
リリナの母親はシングルマザーだ。
結婚式には本来父親が花嫁を花婿のところにエスコートするのが、一般的な習わし。
一緒にバージンロードを歩くというのはつまり、“リリナは、叶に、父親の代わりになってほしい”、と思った。
18歳で父親というのもおかしな話だが、そもそも12歳の花嫁ということを考えれば、多少の違和感も許される気がした。
「そういうことなら引き受けよう」
「兄さん?あっさり引き受けちゃったけど、どういう意味なのか、ちゃんとわかっている?」
杏樹は訝かし気な表情を浮かべている。
「もちろん。花嫁の父親役っていうのは大役だけだけど、本番はばっちり決めてやるから、任せてくれ」
自信満々でいる叶に、杏樹は堪えきれずに笑い、リリナもそれに続く。
「ほら、やっぱり。なんにもわかってない」
「ふふふ、すいません。わたしが、少し勘違いさせる言い方をしてしまったせいで」
「な、なにがだよ。どうして二人とも、そんな笑っているんだよ」
二人の笑みに、叶は狼狽えた。
「くすくす、ごめんなさい、つい。あの、気持ちは嬉しいんだけど、そのぉ……」
「もう、兄さんのせいでリリナちゃんも困っているじゃない。あのね、父親役だなんて、そんなの兄さんに任せられるわけないでしょ」
「でも、俺と一緒にバージンロードって、そういう意味じゃ?」
居心地悪そうにソファーの上から前のめりになる叶を、杏樹が戒め捕まえる。
「まあ、正解はともかくさ……ふふ、父親だなんて、そんな恰好をしてよくもまあ言えたわよね?」
まじまじとみつめてくる杏樹の瞳には、もうすでに兄という男の子の姿はない。
どこの国の誰が見ても叶の姿は、18歳の男には見えなかったかrだ。
「うっ」
ぐぅの音も出ない。
「でも、可愛いですよ。”叶ちゃん”。最初に見たときは信じられなかったですけど」
リリナがありのままの感想を言うと、徐々にだが叶というオトコを視る目も、周囲の環境も変わっていく。
女子児童のためにつくられたレースのブラウスにピンク色の吊りスカート。吊りスカートのフリル紐で、短すぎるプリーツスカート、なにより下着ではなく、紙オムツとオムツに描かれたにゃんこのプリントを露わにしている。
普段から偉そうにしている叶だが、口を閉じていればお子様らしい丸顔。強がってはいるものの垂れ目の優しい瞳。唇の色もまた綺麗なピンク色をしていた。
僅差だが3人の中でもっとも身長が低く、最も可愛い服を着ている叶は、おままごとであったとしても父親には決してなれない。
きつめの紙オムツしている感触が再び蘇り、叶は遠慮がちに笑っているリリナと目を合わせた。
「〜〜〜〜っ!?」
かぁぁっと赤くなって、先ほどまでの威勢も泡となって消える。モジモジしながらソファーに座り直し、まるで本当の女子小学生のようにしおらしい。
「ほらほら。もう一度言ってみなさいよ。18歳にもなってオムツした兄さんが、だれが、だれの、なんだって?ええっ?」
兄に対していじめっ子の顔をする杏樹と、口を閉じてはいるけれども視線は妖しいリリナ。
いつのまにかそんな二人に囲まれていたことを知り、かつては子供だった二人なのに今は全然違う。フリルとオムツと自分の可愛いが邪魔をして、心臓が高鳴っていくのを感じた。
「……わ、わるかったよ、その、かんちがいして」
「へー。おうちで二人っきりのときはもっと可愛くできるのに、ふーん、ふーん」
「……」
また、鼓動が加速する。緊張と興奮が同時にやってくる。
「あの、よかったら。詳しく教えてくれない。オムツのこと」
「うん、もちろん」
「―――ふにゅっ!?」
阻止しようとする叶だが、剥き出しの太腿を触られ瞬く間に背筋を震わせる。滑らかな手に滑らかな肌が重なる瞬間は、少し刺激が強すぎた。
「この前学校で行われた試験中にね。兄さん、緊張しすぎて、おもらししちゃったの。そしたら理事長がもうカンカンに怒っちゃって、その日から兄さんは女子生徒の制服にオムツを履いて登校することになったの。もちろん、家でもそれにふさわしい格好で、ねー?」
感じすぎてしまう太腿の上に置かれた杏樹の手が、ねっとり内側をなぞってくる。興奮した表情をこちらにむけて、逆らうともっと気持ち良いことをされそうで怖い。痛い、苦しいよりも、いやらしい自分が恥ずかしい。
「そんなことって、あるんですか?」
杏樹は叶を手放さないまま答える。籠の中の鳥、という表現が適切なくらいに鷲掴みにされていた。
「やーだ、リリナちゃんってば、忘れたの?理事長っていうのはね、うちらのママのことよ」
「ああ、そういえば」
「うちのママは身内にも厳しい人だから。兄さんのことも、本当は退学にして家からも追い出すつもりだったんだから。それでも、兄さんがどーしてもイヤだって泣きついて、ねぇ?」
ゆっくり今度は慰めるように、杏樹が叶の肩を抱き、頭も撫でてくる。
――あの日のことは叶自身も思い出したくもない過去でありトラウマ。しかし家を追い出された後、他に行く当てなどあるわけもなく、妹の入れ知恵もあったのだが母緒のいう通りにするしかなかった。
女装した叶に生徒たちの反応は様々だったが、直接イジメをしてくるものはいなかった。ただその分、妹の杏樹がしっかり叶の排泄管理を行って、恥ずべきところはすべて視られてしまった。
「そ、その話はもういいだろ?」
「あら、またそんな反抗的な態度とるんだ……でも、そうだね。 それじゃあ、今の話をしよっか?」
「わっ、な、なな、なにを!?」
昔はプロレスごっこして、妹に何度もわからせてあげたことがあった。
今は逆にわからされ、力で彼女に勝てることはない。
時にはチョークスリーパーして、失禁させられたこともあった。あるいは電気按摩で、失禁させられたこともあった。
「はーい、ご開帳」
「〜〜〜〜っ!?み、みないでっ!おもらし、なんか、してないよ」
他人様のソファーの上で大きく脚を広げさせられて、無防備なオムツ替えポーズをリリナの前で晒す。
幼い頃を知る女の子にマジマジとそれを視られ、はずかしい本性を暴かれ、それでもおままごとの延長戦のように続く。2人の正真正銘可愛い女の子がか弱いオトコのコを自由に弄ぶために、はじまる。
「どう、兄さんのオムツ替え?リリナちゃん、やってみる?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろんよ。もう新婚さんなんだから、どうせすぐ必要になってくることだからね」
叶の返事を聞くこともなく杏樹がそれを決めてしまい、乗り気な従妹もまた面白そうに駆け寄ってくる。
にゃんこな紙オムツに、他人の手が触れた。
「やめてよ、オムツなんて、自分で、できるから」
「なにいってんの、誰が、毎日オムツを替えてあげていると思っているの」
「そ、それは……」
言いよどむ叶に、リリナはもう杏樹と同じいじめっこの顔をしていた。
妹のときもそうだったが、最初は尊敬を集めていた彼女たちが徐々に変わっていく様子は新鮮で、そして言い知れぬ不安と興奮を抱かずにはいられなかった。冷たい戦慄が走り抜けるたび表情が崩れ、それでも広げた脚を閉じることはできない。
「ふふふ、ふふふふふ」
パリっと、リリナの白い手が、はじめて白いオムツに触れて乾いた音が鳴る。
「あう、だめ、そこは、ほんとに、敏感になりすぎちゃって……」
「こら、あばれないで、かなえちゃん。もう、うまくできないでしょ〜」
「大丈夫。ほら、わたしがこうやって両手を抑えててあげるから」
「はい、ありがとうございます」
二人が協力して叶を手にかける。
新しく紙オムツを取りだして、
「かなえちゃん。ワガママいって、リリナちゃんを困らせちゃいけませんよ。すーぐオムツ替えてあげますからねぇ。かしこい、かなえちゃんは、いーこにまっていられるよね。ねぇー?替えた後だったら、しぃーしぃーしちゃっていいからね」
「しぃーしぃーって、しぃーしぃーいうな」
「しぃーしぃーはしぃーしぃーでしょ、ね、かなえちゃんは大得意だもんね」
「だか、ら、それでぼくを、はずかしめるなぁ」
言葉ですら勝てなくなって、両手をにぎにぎされ、ソファーが3人の重みで軋む。
「ほら、次のオムツはどっちがいい?ヒヨコさんの、おむつ……『PIYOPIYO』って書かれてて、可愛い文字でよね?それともこっちのクマさんがいいかなぁ?とってもフワフワでモコモコ、かなえちゃんのおしっこもおしっこじゃないのも、ぜーんぶ受け止めてくれるからねぇ、うれしいでしょ、たのしみ、だよね?ねぇ、ねぇ」
「か、かおに、おむつ、おしつけないで……んっ」
「んふふふ、結婚式までにもう少しあるから、それまでにもっともっと可愛くしてあげる」
長い、尋問のようなオムツ替えが始まっていた。
それは叶にとっては幸せなことのはずなのに、二度と思い出したくはない。
叶は知らなかった。
最近ではカジュアルウェディングなるものが流行っていて、格式ばった披露宴よりも花嫁たちが自ら小さな結婚式をプロデュースすることも多い。
男の叶がアソコを永久脱毛されて、ウィッグ付きとはいえ髪型をツインテールにされてしまったのも、リリナたちのプロデュース。
「リリナちゃん、キレー」
「ニノちゃんだって、ふふ。なんだか照れくさいね、学校でウェディングドレスなんて」
本番まであと5分。
チャペルとなるのは、リリナとニノが通っている小学校だった。
隣の教室ではバージンロードが敷かれており、来賓であるクラスメイトたちが今か今かと花嫁たちの登場を待っている。
ドレスコードは、花嫁たち以外はみんな小学校の制服になるだった。
「なんで……はぁ、はぁ?なっとくできない。なんで……おれが、フラワーガールだなんて……」
フラワーガール――
花嫁とともにバージンロードを歩き、ピンクの花びらを蒔いて道を清める役割があり、可憐で清楚でなければならない。だからこそ、本来は4歳から9歳くらいの女の子がそれを担うのだが、叶はそれに堕とされた。
「それに、この格好……なんで、なんで?」
自覚するたびに赤くなる。呼吸が苦しく、熱い。
信じられないことには、ピンクの体操着を着せられていていた。ただのピンク色ではなく、女の子の色。幼稚園児らしい
胸にはモミノキ幼稚園の本物の園章。
なにより本来あるはずのショートパンツを履かせてもらえなくて、紙のオムツがそのまま剥き出しになっていた。
「えへへ、えへへへへ」
「しかも、ホンモノと、一緒だなんて…・・・・」
不幸はまだ終わらない。
出番を待っている間も、叶は隣の子を見る。
隣にいるのは馬鹿みたいに笑うポニーテールの女の子で、本当の幼稚園児。内心見下していたのだけれども、それもすぐに思い直さなくてはいけない。
「くっそ」
同じフラワーガール役の女の子は、叶と同じピンクの体操着なのに、普通にショートパンツを履いている。
髪型もまた。彼女の方がいささか大人っぽい。
生まれて初めて幼稚園児のことを羨ましいとさえ思ってしまって、こんなにも小さな子よりも自分は幼い子なのかと思い、認めたくなくても周りがそれを認めていた。
「はぁい、可愛いフラワーガールさん。最後にちょっとだけお化粧するよ。じっとしててね」
「はーい」
出番が近づき、メイク係を担当する杏樹がやってきて、すぐにポニーテールの子から手入れする。
彼女たちはくすぐったそうに笑って、楽しそうだった。
「ほら、つぎはカナちゃんの番だよ」
「俺は、俺は……」
「うんっと可愛くしてあげるから。もう二度と、男の子なんかに戻れなくてもいいって思えるくらいにね」
「ひっ!」
これから結婚式とは思えない絶望的な表情を浮かべ、くすぐったいハイライトやチークを丁寧に塗られる。ここでもポニーテールの子と同じくもぎたてピーチのピンク色に頬を染められて、目元が常にきらきら輝いていた。
メイクで劇的に何かが変わるわけではない。
それでも他人の手に身を委ね、自分という存在がゆっくりほころんでいく。メイクの明るさとは裏腹に心を虚ろにしていった。
「ほら、可愛くなっちゃった。やっぱり素材がいいから」
「俺が、ようちえんじだって、いいたいのかよ
「うん。むしろ、幼稚園児以下だと思っているよ」
「お、おま、いっていいことと、わるいことが……」
しかし、オムツを履いている叶は完全に言い返すことはできない。
「はいはい、それじゃあ、メイクはこれでよしっと、オムツは……うん、濡れてないわね。くすっ、朝、ちゃんとオマルでおといれしてきてよかったでしょう?ねぇー」
「ぉ、おれぇ、杏樹。杏樹、ちゃん……うぅぅぅぅぅぅ、やっぱり、こんなの……」
オマルなのも、見られながら用を足したのもすべて事実。ツルツルのおまたにオムツを履かせてもらったのも、気持ちいいと思ってしまったのも事実。戸惑いから当たり前に変わりつつあるのも、紛れもない完全なる真実だった。
大きくモコモコになったお尻を気にして後ろを振り返り、そこに映る子豚さんのイラストに、叶はこの上ない敗北感を覚えていた。
「なになに、いよいよ怖気づいちゃった?でもダメだからね。本番ではバッチリ決めてくれるって言ってたじゃない」
「そ、それは違うことのことで、あのことは、もう、謝ったじゃないか……!」
気安く杏樹がオムツに触れてきて、パリパリ音を鳴る。逆らう気力もない。内腿を擦られても、なぞられても、揉まれたりしても、恥ずかしそうに目を閉じるだけで手を払ってはいけなかったのだ。
「杏樹ちゃん、こ、ここまでやるんだから……」
「ん?」
叶は哀願する。
「ここまでやるんだから、さ。もう、許してくれるよね。これが終わったら、オムツしなくても、また、普通にさ」
すると、いつもよりもずっと大人びた雰囲気をした杏樹が言う。
「馬鹿ね。こんなことまでしちゃったら、もう二度と普通の男子高校生に戻れるわけないじゃない」
「そんな」
だが、正論でもあった、
「お幸せに。かなちゃんはねー、もう紙オムツから離れることはできないんだから。だって、普通の子供はね、オモラシなんてきちゃないばっちい。オネショなんてはずかちぃって思うのだけど、かなちゃんはそれだけじゃないでしょう?」
「……」
叶は答えられなかった。
「別にいいんだよ。かなちゃんはもうお兄さんゃないんだから、だから気持ちよくなりたいと思っても、恥ずかしいのにやっちゃったとしても、もう怒ってあげないから」
そして杏樹に変わり、リリナが話しかけてきた。
「かなちゃん、そうだよ」
「う、う、う、り、りりな、ちゃん」
彼女は花嫁。花嫁はこの式の主役で、人生最高のまばゆい光を放ち、小さいながら神々しささえ湛えている。人生も精神も下り坂の中にある叶が逆らえるはずはない。
そして純白の花嫁を見て胸がざわつくのは、自分が白をレモン色に染めてしまう存在だということを自覚しているから。
花嫁は、優しく語りかけてくる。
「わたしも、杏樹さんも、かなちゃんにもっと素直になってほしいだけ。今日は神様だってみているんだから、ウソつきはダメ、だから?」
まだ、挙式始まっていない。
しかし新婦・リリナがその場で、フラワーガールの叶に誓いの言葉を尋ねてくる。にこやかな笑顔で脅迫し、ある種の儀式を執り行う。
「かなちゃん。あなたは、病めるときも 健やかなるときも オモラシをしたときも
いついかなるときも感謝の気持ちを忘れず、オムツを受け入れ、ネンショーの女の子として、、
末永くみんなにお世話してもらうことを誓いますか?」
「ば、ばかな……」
受け入れられるわけがない。
だが、逃げようとする叶の手をぎゅっとリリナが握り締めてきて、そこへニノという知らない花嫁も一緒にくわわる。
「ち、か、い、ま、す、か?」
「う、あ、いや、だぁ……」
「ち、か、い、ま、す、か?」
「やめてよぉ……もう、ゆるしてくれぇ」
これが夢であるのなら早く冷めてほしい。自分よりも幼い小学生に真剣な眼差しで見つめられ、握り締められた手は痛くて敵わない。
ポニーテールの子が心配げに見つめてくる。
自分の手がこんなにも弱々しいものだったかと思うと、さらに杏樹や、なんの所縁もないポニーテールの子も加わり、神様ではなく女の子たちの前で誓わされる。
「ち、ち……ち、か……ああ、だめ……」
叶は、一度躊躇する。
だがそれすらも、この儀式の予定調和。
迷い、悩み、焦り、諦め、そして一連の流れを超えて、本物の言葉となる。
「ち、か……ちか……い、ます……ああ、だれかぁ、とめてくれ」
震える声でいう叶は、やはり幼稚園児ではなかったのかもしれない。叶は自分が言ってしまった誓いの重みを十分に理解していて、幼稚園児ではないのに幼稚園児の女の子でしか得られない悦びを知ってしまった。
だからこそ、相手にも自分にも、このウソを未来永劫続けなければならない。
「ふふ、ありがと。それじゃあ、フラワーガールのお仕事がんばってね。ちゃんと頑張ったら、あとでいいことあるかもよ?」
杏樹がそう言ったが、叶は不貞腐れた表情を浮かべるだけで聞いてはいない。
するとスクールウェディングらしく校内の放送がかり、隣の教室から聞こえてくるピアノの曲調も、とある入場曲となった。
<ただいまより、6年4組にて、平手リリナさん・谷口ニノさんの結婚式を行います>
アナウンスを務めるのは、女子小学生の声。
学校とその周辺にも響き渡る。
<フラワーガールを担当するのは、モミノキ幼稚園のナナカちゃんと、かなえちゃんです。花嫁のために一生懸命にお花を蒔きますので、応援してください>
イヤでも行かなくてはならない。
いつの間にか、モミノキ幼稚園の一人となって、吐息が重くなる。
叶は花びらがたくさん詰まったバスケットを手に持ち、もう一人のフラワーガールとともに花嫁の前を歩きだす。
結婚は人生の墓場……そんな言葉を、思い出した。
「ほら、いっしょに」
「う、うん、いっしょ、だから……」
やる気に満ちたポニーテールの幼稚園児とは対照に、叶が思い描くのは破滅的なこと。
けれども、可笑しい。
「二人とも笑顔でね」
「……え、笑顔」
叶は今日初めて出会った女の子と、それも幼稚園児の格好で、可愛いオムツを履かされてしまい……歩くたびに、自分の心の変化に戸惑ってしまう。怖くて恥ずかしくて情けなくてありえないのに、甘い露となって滴り落ちてくる。
じゅんっと熱い気持ちのまま、目の前のバージンロードを踏み外さないように闊歩する。
18年間歩んだ人生を1歩単位ですり潰し、無様な笑顔に変えていく。
「みて……あれだよ、あれ」
「ホントだ……ホントに……オムツ……、カッコ……ーい」
「……幼稚園……体操着……着て、……見ているコッチ……、ハズかし……それでよく笑って……られ……よね?」
教室に入って早々に、子供たちの声を耳にする。
幼稚園のピンクの体操着も、紙オムツも、全部包み隠さず見られてしまう。きっと愛の神様だって、叶を見ているに違いない。
「じゅう……っさい、なんでしょ……本当は?みえない……ね。背も、ちっ……いし」
汗が背中を伝い、ピンクの体操着が肌により密着してくる。紙オムツもまた蒸れてくる。
「となりの……いっしょに……はさ、まだ……でしょ?でも、……どっちが……えんじか……わからない……ね?」
チャペルとなる教師は、同時に結婚式らしい――愛の神様を迎え入れるための厳粛な空気が流れていた。
音楽室から運ばれたピアノが音楽を奏で、赤いバージンロードの絨毯は教壇に向かって伸びている。黒板にはチョークで描かれた祝福の花と言葉が飾られ、勉強机はない。
ビデオカメラが回っており、椅子だけでつくられた来賓席に制服姿の小学生たちがいて、叶と叶のオムツをねっとり視ていた。
「あ、あああ、あああああ。だめ、こんなの、だめだよ……」
仮にも18年間の経験がある男子高生。
だが、そんな経験は今もこの先の未来もきっと何の意味もなさい。
子供たちはみな正直で、笑顔のような、侮蔑するような、呆れているような、一人一人の熱っぽい視線が叶の本性を暴いていた。
「……おしっこする……んちをするときも、……ぜーんぶ……おせわ……だって」
「そんなの……もう、あかちゃ……じゃん」
もう一度振り返る、オムツ以外は、なにも可笑しいところはないはず。
「リリナ……たちも……、ものずき……よねぇ? わたし……ったら、……ぜったい……ててるもん」
「いくら……かわいくても……オムツ……だめだもんね」
緊張しすぎて頭が良く働かない。
チークを塗ったばかりの頬が熱すぎる。
「ぼく、ぼく、ぼく……」
不安がピークに達し、叶はとうとう足を止めてしまった。
それはほんのわずかな瞬間だったとしても、結婚式というステージの上では大事件。
しかし、
「ほら、行こ」
「……」
花を蒔くのを諦めて、ポニーテールの子が動く。
不安なその手を繋いでくれる。強引に引っ張って、その場を逃がしてくれる。
女の子にリードされるのは悲しいけれどもう慣れていて、今はそれを嬉しくて頼もしくも思ってしまう。
「ご、ごめん……」
それしかいえなかった。
心の底から謝罪し、気が付かないうちに屈してしまう。幼稚園児なのに、それに頼りきってしまう。
「ごめんね」
花を蒔き、もう一度はっきりと声に出すと、心臓が激しく高鳴った。
いくらお化粧して取り繕っても、心の余裕まではとうとう取り繕うことができなかった。 今日を境にすべてが変わる恐怖と期待。ウエとシタが変わる節目にきている。
オムツの叶は緊張に耐えきれず雨模様の顔をして、それでもポニーテールの子を真似してしっかりと花びらをまく。逆にいえば彼女がいなければ、どうしていいのかわからず立ち竦んでいたかもしれない。
教室いっぱいに甘い匂いを醸し出し、空中に舞う花びらは美しい。鮮やかなピンク色で、そしてこれから一足先に大人の階段を上る花嫁たちによって踏みにじられる。バージンロードを叶の犠牲によって清められた。
「キャー、リリナちゃーん!」
「ニノ、おめでとー!」
2人の花嫁の登場とともに歓声が上がり、フラワーガールのことはいったん忘れられる。
同性婚のカジュアルウェディングともなれば、お互いがお互いの父親役の代わりをして、手を取り仲良くバージンロードを歩くのが新しいスタイルだった。たとえ小学生同士とはいえ、それは絵になり、華ともなり、みんなの記憶にも残る。
「うわぁー、リリナちゃんも、ニノちゃん」
「二人とも本当に綺麗だよ。おめでとー」
みなの視線が花嫁たちに移る中、ゆっくりとフェードアウトしていくフラワーガールの二人。
そっとスポットライトが当たる場所から移動しながらも、叶はつぶやきだす。
「こ、こんなはずじゃなかったんだ……」
「なにが?」
別に話しかけたわけではないのに、ポニーテールの子が聞き返す。
「ぼく……母さんのような、立派な、人になりたかったんだ……」
それも、もう敵わない。
「あたしは大きくなったら、きゃびんあてんどさんになるの」
「……。でも、ほんとうは、母さんに認めてもらいたかっただけで、好きになってもらいたかっただけで」
すると、目をまん丸にしてポニーテールの子が言った。
叶と、手を、つないだままだった。
「かなちゃんのママは、リリナちゃんたちでしょ?」
「……」
「違うの?」
「ぼくのママは、ぼくのお母さんは……」
そのときブルルっと、魂の底から身体が震えた。
遅れて、途方もなく気持ちいい感触がやってくる。
「あ……」
――そのとき、教室では花嫁たちによる誓いの言葉が始まる。
絶望と歓喜の瞬間がピタリと重なった。
「本日、みなさまの前で、結婚式を挙げられることに感謝して、結婚の誓いをいたします。
「いち、常に相手を敬い、思いやる気持ちを忘れません」
「にー、家事も学業も、おろそかにしません」
「さん、愛情表現はいっぱいします」
「よん、よわいこ、なさけないこでも、二人で積極的に手助けします」
「ごぉ、わたしたちは、いつでもウェルカムです」
「この誓いを守り、お互いを一生愛し続けることをここに誓います。20XX年6月 新婦リリナ」
「……新婦ニノ」
女子小学生花嫁の二人の声が和やかに響き、そして多くの祝福の中で終わる。終わると同時に、はじまる。
大きな、大きなお尻をもう一度振り返り見つめながら、叶はメイクを崩し観念した表情を浮かべていた。
結婚式が終わるとすぐ、叶は現・保護者の杏樹に手を引かれて、学校の保健室へとやってきた。消毒液の臭いに紛れ、体操着の白と保健室の白と、白じゃないオムツの色が映り込む。
「ねえ、知っている。フラワーガールはね、結婚式のあと、プレゼントがもらえるんだよ?」
「え?」
「かなちゃんへのプレゼントはね。2つあるから、どっちか好きな方を選んでね。両方はだめだよ。ほら、そこに大きなプレゼントボックスが2つあるでしょ?」
例のオムツ替えのポーズをさせられたまま、結局オムツは替えてはもらえない。
代わりに頭を撫でられて、それはまるで別れを惜しむかのような優しい目で見下ろされる。
「1つは、あっちの大きなプレゼントボックスの中にあるよ……没収中だった男子高校生の制服と、隣町の転校届。さすがにオモラシしたり女装したりでいろいろあったでしょう。違う学校で、またイチからリスタートできるように準備しておいたから」
「ほ、ほんとに……?」
それは叶の夢にまで見た、希望そのもの。
頭を撫でられていた杏樹の手が、今度は頬を撫でまわしてきて心地よい。思わずうっとり目を細めて、お腹もオムツも見せたままだらしなく身をゆだねる。
「でも最後まで聞いてね。もう一つのプレゼントボックスの説明が残っているから」
「うん……」
叶はどこまでも従順だった。
「そしてもう1つはね、あっち側の大きなプレゼントボックスの中……ああ、でも正確に言うとね、コッチはかなちゃんへのプレゼントというよりも、かなちゃんがプレゼントになるためのボックスかな?」
「どういう、意味?」
可愛らしく疑問符を浮かべる叶に、杏樹は丁寧に説明してくる。
「まずは服を全部脱いで、“はだかんぼ”になるの。身体中にこのリボンをまいて、プレゼントボックスの中に入って、ハートマークのバルーンを抱きながらいーこ待っていてね。いーこになるのは、もうかなちゃん得意でしょ?」
「……う、うん」
可愛い自分に、叶ははにかみ興奮していた、
「1時間もすれば、新しいママのところに送り届けてあげる」
「あたらしい、ママ?」
「誰だかわかるでしょ?リリナちゃんとニノちゃんのところよ。女子小学生のママなんて、さすがに今の世の中とは言え珍しいことだけど、二人ともかなちゃんなら喜んで受け入れてくれるって約束してくれたの。もっとも、そっちを選んだ時には、男子高校生の兄さんは、綺麗さっぱり消えるけどね」
「……!?」
叶は驚きに目を見開く。
それは、元の男子高校生に戻れると知ったときよりも驚いていた。
「さ、これが最後の、運命の分かれ道ってことだよ。慎重に選んでよ……戻るか、生まれ変わるか、ね?」
「……ごくり」
「ああ、その顔だと、もう答えは決まっているのね」
少し寂しそうに、でも次の瞬間にはもう杏樹は兄への興味を失っていた。
「じゃあ、コウノトリ役はわたしが引き受けてあげる。早く“はだかんぼ”になって。あ、そうそう、ナナカちゃん――同じフラワーガールしていたポニーテールの子だけど、よろこんで。リリナちゃんちのお隣さんだから……また遊んでもらえるよ。ナナカおねーちゃんだね」
「あそんでもらえる、お、お、おねーちゃんに、また、あえる」
ゆっくりと杏樹の言葉を復唱し、心の奥底に落とし込んでいく。
優しいリリナママと、まだよくわからないニノママと、幼稚園のナナカおねえちゃん。しかし、夢の達成にはあと一人だけ足りない……
「あ、あの……」
「ん?」
叶は言った。
「あんじゅは、あ、杏樹おね、いや、杏樹ママには、もう、あえないの……?」
生まれて初めてする、上目遣いのおねだり。
もう男の子ではない。心から女の子、赤ちゃんになったつもりで、もう妹だとは微塵も思ってはいない女の子。妹よりも尊い、大好きになった、オムツを替えてくれるちょっと意地悪なママにまた逢いたい。
「まあ、たまにはね。様子を見に行ってあげる」
照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに杏樹は頭を撫でてきた。
それで叶は十分だった。
「や、やった、やった、やったぁ〜♪」
「……そういう可愛いところ、兄さんだったときにもう少しだけみたかったなぁ」
ちょうど1時間後に、無事に叶はプレゼントされた。
裸リボンで赤ちゃんとなって、二人の小さなママに出逢ったときの感動を、叶は生涯忘れない。
