俺は淫乱女子児童 第一章 俺が女子小学生?

「ようやく真緒(まお)の行く高校も決まったことだし、明日にでも二人で制服を注文しておいてよ」
 俺と妹が引っ越し作業の手を止めて一息ついた午後、職場に指示の電話を入れていた母親が、電話を置きがちそんなことを呟いていた。
 シングルマザーという身の上ながら、雑誌編集者として奮闘中の母は、念願のマンションを手に入れた興奮からかとても機嫌がいい。俺は隣に座っておにぎりをぱくつき始めた小学五年生の妹、新(あらた)に肘鉄を繰り出されて椅子からよろめいていた。
「高校も私が受けていれば、すんなり決まったかもよ」
 嫌みにしか聞こえない新のセリフに、俺は自分の腕をさすりさすり唇をとがらせるしかない。

 俺、村岡真緒(むらおかまお)は高校一年生のどこにでもいる男子だ。
 この都度、母親が都内に念願のマンションを購入したことにより、夏休みを挟んで急遽転校することになり、編入できる高校をあちこち探していたところだった。
 どうして探し回らなければならないのかというと……、単に俺の成績が相当悪かったことによる。
 学年でも超低空飛行だった俺の成績では、進学校だらけのその街中では、おいそれと入れる学校がなかったのだ。
 真逆に小学五年生の妹、村岡新(むらおかあらた)は、運動神経も抜群であり、五年生ながら学校ではバスケ部のキャプテンをしたり、習っている空手でも全国大会に出る程の腕前。しかも俺と身長体型ともさほど変わらないとくる。
 なおかつ兄として頭が上がらない点は、彼女がたぐいまれなる才女だということだろう。一発で一流大学の付属小学校の転入試験に合格した新は、これまで以上に鼻息荒く俺をバカにしている始末だ。
 体格でもまったくかなわない新に、俺はなんとか兄としての沽券を維持しようと、背をそらす。
「お前だって、ちゃんと勉強しないと落ちこぼれるぞ」
 新は俺の華奢な顎をつかんでへらへらと笑いながら、残っていたおにぎりを俺の小作りな口に突っ込んで言った。
「そのセリフ、そっくりお兄ちゃんに返すよ。お兄ちゃん頭は悪いけど、顔はそこらへんの女よりかわいいから、気をつけた方がいいと思うなぁ」
「ば、ばかなこと言うな!」
 日頃から気にしている女顔を指摘された俺は、おにぎりをぼそぼそかじりながらそう答えるしかなかったのだ。
 高校生にしては背も小さく、体重も四十キロを割ってしまうこともある俺は、肩幅もないし手だって女性のように小さい。自分でも心持心配な点は、いまだに髭らしいものが生えてこないことだろう。ちなみに、脛毛だって生えてないし、下の毛だって、飾り程度にしか生えてないが。
 加えて性格もおとなしく運動もできなかった俺は、小さいころから散々苛められてきた。おかげで不登校にもなりかけたし(なんとか歯を食いしばって登校したが)、成績はかなり良くない。
 そんな俺も、新たな土地で一から出直せるというのだから、がんばるしかないじゃないか。


   無事引っ越しが終わったその翌日、俺と新は早速クーラーの効いた某百貨店に足を運んでいた。母親は仕事が忙しかったため、俺と新とで制服の採寸をとらなければならなかったのだ。
 制服をオーダーするコーナーには、やたら年配の従業員らしきおばさんが一人だけいた。店は夏休みの喧騒でごった返していたが、そのエリアは寒いくらいひっそりとしていた。それはそうだろう。時期はずれもはなはだしいからな。
「はいはーい。とりあえず既製品に腕を通してもらいますからね。それから採寸して体に合う制服を作らせてもらいますから」
 やたら元気なおばちゃんにそう言われ、お互いに通学する予定の高校名と小学校名を口にした。おばちゃんは鷹揚に頷き返すと、奥の棚から一揃いの制服を二着持ってくる。
 手渡されたその直後、俺と新は一瞬困惑する。なぜなら、新が渡されたものは明らかに学ランであり、俺が手にしているものは、赤いプリーツスカートのかわいらしい制服だったのだから。俺達はお互いに視線を交わして困惑するしかなく。
 冗談かとおばさんを見返していたが、当のおばちゃんはニコニコ顔で早く着替えてみたらと催促していた。
 まさか、俺と新を逆に見ているのか。俺が小学生の妹で新が高校生の男子だと?今の時点でほぼ身長差がないからと言って、これは悪趣味すぎるジョークだ。
 そりゃ、確かに日頃から新の服装は相当男っぽい。今日も今日とて、だぶだぶのジーンズに、Tシャツとその上からチェックの薄手のシャツを羽織っているだけだが、目深に被った帽子も相まって、普通に見ても男の子のように見えた。しかも、今日の俺の服装も似たり寄ったりの上、髪が新より長い俺の方がもしかするともしかしなくても、中性的に見えたのかもしれないが……。
 これまでにも何度か性別を間違われたことのある男っぽい新はまだしも、兄である俺まで妹に間違われてしまうなんて。自分がふがいなさすぎるせいか。
 そのとき、新の目に怪しげな光が点るのを見る。彼女は俺の耳に唇を押し付けんばかりに近づけると、早口で囁いていた。
「お兄ちゃん、これお互いに着てみようよ」
「は?なに言ってんだよ。俺がこんなの着れるわけないだろ」
「そっかなぁ。お兄ちゃんかわいいからけっこう似合うと思うんだけど。とりあえずおばちゃんを悲しませないためにも、着てみようってば」
「え、おい、ちょっ……」
 俺より明らかに体格のいい新が、制服を抱きしめてもじもじしていた俺の腰を引き寄せる。そのまま試着部屋に放り込まれた俺は、なんとかこの状況から逃げ出そうとカーテンを開きかけたが、隙間からこちらをにらみ返している新の恐ろしい形相を見て、すごすごと試着室に後ずさりするしかなかった。
 赤いプリーツのあるスカートと、白シャツ。紺色のリボンタイと、これまた紺色のブレザー。まさしく私立の小学校の制服だった。そのすべてがまるでしつらえたように俺の体にぴったりくるから、また最悪だった。のろのろと着替えていると、先に学ランを着たらしい新の急かす声が聞こえてくる。
「真緒ぉ、早く出なよぉ」
 おいおい、早速兄を呼び捨てかよ。新の声に混じって、そんな妹の姿を誉めそやす店員の声まで聞こえてくる。俺がカーテンの端から妹の姿を覗こうとすると、目の前に新のドアップがあったから驚いた。
「早くしな。お兄ちゃん、もう待てないぞ」
 ななな、どういうことだよ。お前が兄である俺になりすますって寸法か?ば、ばからしい。そんなこと無理に決まってるだろ。所詮新は小学生の女の子だし、俺はこれでも一応高校生男児だからな!
 なのに、あわてて着替えて試着部屋を出てきた俺を待ちかまえていたのは、異様に学ランが似合っている誰よりも男らしい新の姿だった。新は出てきた俺を一目見るなり、両手を広げてあろうことか俺を抱きしめる。あっさり宙に浮いた俺のミニスカからパンツが見えそうで、ハラハラしどうしだった。
「すっげっ!真緒、ちょーかわいい!似合ってる!男のくせにさぁ」
「はぁ?おま…、やめっ……」
 妹に抱き抱えられるという情けない姿のまま、試着部屋前にある大鏡に自らを映し出した俺は愕然とする。てっきりそこには窓ガラスがあって、外にいる小学生が写っているのだと思っていたからだ。
 とても男とは思えない姿がそこにはあった。細い足をプリーツからすんなり伸ばした小学生。髪も伸び気味だったからか、さほど違和感がない。筋肉すら見えない俺の華奢な姿が、恐ろしいほど女子の制服にマッチしていた。
 背の高い細めの小学生としては、よくいる風情。
「あーほんとよく似合ってること。かわいいご兄弟だねぇ」
 二人の姿をにこやかな笑顔で眺めていたおばちゃんが、そう頷く。俺と新はここまできて、実は兄妹逆でしたーなんてことが言えなくなっている雰囲気に気づいていた。
 おばちゃんが俺達の体のサイズを測る間、各自にいろいろ質問を投げかけてくる。新には学ランの裏地の柄は何がいいかとか聞いてくるし、俺にはプリーツスカートの管理の仕方について話しかけてくる。俺達は適当に相槌を打って聞き流していたが、それがやはりまずかったのだろうか。
 最終的にそのおばさんが俺と新に渡した注文書には、完全に逆のオーダーがされていたのだから。要するに俺の制服の注文書には、真っ赤なスカートと紺色のネクタイ、襟に小学校の校章が記された女の子用の制服。新の手には肩幅のしっかりした黒い学ランの注文書が渡されていた。
 新が変な茶目っけをだした結果がこれだった。いったいどうしてくれるんだ新め。いくら俺が妹を睨み返しても、新はどこ吹く風だ。つか、この場の違和感をにやにやと楽しんでやがる。
 何度も俺がお婆チャン相手に目くばしあっても、オバチャンはこれでおしまいと手をひらひらさせて俺達をコーナーから送り出しているだけだった。
 結局気の弱い俺は、その場をすごすごと立ち去るしか術がなく、新は新でこれからの展開を楽しみにしているようですらあった。
 どうしていいかわからずひたすらまごまごするしかない俺の手を取った新は、制服の前金をそのお婆ちゃんの手に託すと、兄らしく(?)俺の手を強引に引っ張りながらそのコーナーを後にしていたのだった。
「ど、ど、ど、どうするつもりなんだよ!」
「だいじょーぶだよ。なんとかなるでショ」
 俺の手をとってウィンクする暢気な新のせりふに流されっぱなしの俺は、後日相当後悔することになるのだが。

 今は夏休みの真っ最中だったので、新しい学校に通うにはまだしばらく時間があった。だから俺も新も高をくくっていたのだ。万が一互いの制服がまちがって作られたとしても、背丈が似ている俺たちならそう問題はないだろうと。しかし、成長期にある妹の背丈は、一月足らずで恐ろしいほど伸びていたわけで。
 明日は始業式という八月三十一日。ようやく届いた互いの制服は、案の定俺が小学生用として、妹は高校生男子用として作られていた。それを交換して着てみると、あろうことか新の背丈では、小学生用の制服が全く入らなかったのだ。腰のボタンもとまらないし、スカートは恐ろしいほどミニスカ状態になっている。
 新の身長は一月でなんと2センチほど伸びていたし、なおかつ体重は5キロも増えている。休みの間中、バスケと空手三昧だったらしい妹の体は、成長期も相まってぐんぐん伸びていた。
「真緒〜、こりゃはけないよぉ」
 うんざりの体で小学生の制服を俺に投げてきた新は、ぶかぶかすぎる学ラン姿の俺を見て、居間の中央で勢いよく吹き出す。俺たち兄妹は昔から仲が良く、あけっぴろげに着替えたりすることもいまだに厭わない。
 途端に顔に血が上った俺は、慌てて脱いだ学ランを新に投げつけながら喚いていた。
「笑うな!お前が休み中も飯ばかり食べて運動三昧するから、でかくなりすぎたんだろ!」
 恥ずかしさと怒りで顔が火照りだした俺に向かって、余裕綽々で学ランを受け取った新は図々しく呟く。
「あんたがチビだからいけないのよ」
「この……チビで悪かったな!」
 それにしても、俺のこの学ランのぶかぶかさ加減では、まともに高校に行けるとも思えない。俺以上に新の方なんて、小学校の制服に体を通すことさえ不可能っぽい。俺たちが同じことを同時に考え、互いの嫌そうな視線を交わしあった直後、新は会心の笑みを浮かべて指をパチンと鳴らしていた。
「そうだ。この際、お兄ちゃんが私の代わりに小学校に通えばいいじゃん」
「バカか!行けるわけないだろ」
 恥ずかしさのあまり着ていたTシャツの裾を掴んで己のひ弱な体を覆い隠した俺は、顔を真っ赤にしながらそう叫ぶ。逆に新は体にぴったりとくる学ランを颯爽と羽織って、ぬけぬけと宣っていた。
「お兄ちゃん、か〜わい〜い。女の私から見ても、襲いたいくらい十分かわいいから問題ないって」
「かわい……って、ばかか!」
 常識的に考えてもありえないだろ。高校男子が小学生女子になりすますなんて!どうにかこの場から逃げようと後ずさりする俺を、学ラン姿の新が壁際に追い詰める。あろうことか床に散らばった赤いスカートを無理やり俺の両足に通し、強引にシャツのボタンまで留める。
 最終的に鼻息荒く首もとのリボンタイを巻きつけた後、恐ろしさで震えている俺の顎をつまんで、どす黒い表情を浮かべて笑っていた。
「ほら…、十分かわいいって。これ着て明日から小学校に登校しなよ。あ・ら・た」
 つままれた首根っこが苦しい。血の気が引いて土気色になっていた俺に容赦せず、真緒になりすまそうと画策している新は、やけに隠微な笑みを浮かべて言った。
「苛められても、私が守ってやるからさ」
「じょおだ…ん…は…」
「冗談じゃねぇからな」
 吐き捨てるようにそう囁きかけられた俺の体は、すでに床からも数センチ浮いている。妹の尋常じゃない腕力で持ち上げられた俺の体は、彼女の拘束から解かれた時点で、情けなくも床に崩れ落ちてしまっていたわけで。同時に、抵抗する気力も崩れ去っていたのだった。
 苛められても、私が守ってやるからさ
 新のこの何気ない言葉が、今後の俺の人生さえ左右することになろうとは、この時の俺も新も想像もしていなかったのである。


 翌日、こんな時に限って、頼みの綱の母も俺たちより早く早朝出勤してしまっていた。朝ごはんと共に取り残された俺たち兄妹は、学ラン姿をした妹の暴力による強制により、互いの制服と登校する学校を取り替えることになったのである。
 高校男子の俺が妹の通う予定だった小学校に。その妹は兄の通うはずだった高校に。互いの名称も、新が真緒に、真緒が新として。
 妹の監視の中、下着まで女の子用に変えさせられた俺は、(妹曰く、スカートめくりとかされたら、男性下着だとモロバレじゃん!)体にぴったりするプリーツスカートとブレザー、真っ白なシャツ姿にリボンタイを締めて、ランドセルをしょいつつ家のドアを開けていた。
 すると、俺の姿を捉えたらしいお隣の派手な姿のお兄さんが、これまた派手な女性を連れた姿でこちらを見ていた。
 隣の住人は夕方出勤早朝帰宅の仕事についているらしく、だいだいこの時間に帰ってくる姿を見ることができる。その日もいつものように黒の高そうなスーツに、シルクのシャツと金のネックレスを纏いながら、酔っ払った派手な女性を二人も連れていた。
 お持ち帰りというわけか。というか、このお兄さんは日によって男だったり女だったりといっしょに帰ってくるときがあることも、俺は知っていた。家に連れ込んで何をしているかなんて、防音効果がばっちり整っているこのマンションでは、わかるわけもないが。
 しかも、捲り上げた袖の下から見える腕には、明らかに刺青と思しき龍がのたくっている。あわわ、絶対まともな人間じゃない。
 そのお兄さんが、俺を見て目を丸くしている。そりゃ、そうだよな。昨日までは男の姿だった俺が、突然小学生女児の格好をしているのだから。
「…おはよう」
 サングラス越しに、お兄さんが俺に声をかける。
「おはようございます…」
 互いにそれ以上言う余裕がないまま、俺は急いでその場を後にする。お兄さんの隣を通り抜けた時、酒とタバコのにおいに混じって甘いトワレの香りが、鼻腔をくすぐっていた。
 足元がスースーする。膝下まである靴下の白さが、悲しい。
『兄ちゃん、最高。ショタ心わしづかみじゃん。つか、エロい』
 朝っぱらからふざけたせりふ全開の新(今や真緒と言うべきなのか)に背中を蹴られたことを思い出した俺は、痛みの残る背中をさすりながら家を後にするしかなかったのだ。

 なんとか小学校に着いた俺だが、どうにも周囲の視線が気になってしょうがなかった。いい年した男が女装して小学校に登校しているのだから、おかしいに決まってる。剥き出しの膝小僧や三つ編みにした襟足などをしきりに気にしながら俺が向かったところは、とりあえず職員室だった。
「あらあら、あなたが村岡新ちゃんね。私は担任の浅田です。よろしくね」
 二十代と思われる体育会系のお姉さんが、俺に向かって挨拶してきた。つい俯いてもじもじしてしまっていた俺を見て心配になったのか、先生は俺のブレザーに直接名札を留めると、手を握りながら教室へと歩き出す。しかも先生の手より俺の手のほうがどう見ても小さかった。
「新しい学校とクラスに慣れるのは大変でしょうが、がんばってね。ちょっとばかりうちのクラスはやんちゃ者が多いけど、できるだけ穏便な学校生活が送れるよう努力してね」
 先生の言葉尻から察するに、問題ごとは極力避けたい方向らしい。俺もそれは同意したいよ。
 でも、先生は気づかないんだ。高校生男子と手を握っているということを。そして胸元で揺れる村岡新という名札の存在が、それまで半信半疑だった俺を目覚めさせる決定的な証拠になっていた。
 俺は悟るのだ。もはや高校男子である村岡真緒は、ここにはいないのだ。ここにいるのは、小学五年生である村岡新という女の子。俺は今更ながらに自らがしでかした恐るべき行動に、冷や汗が流れる思いだった。


「新しいお友達の村岡新さんです。みなさん、仲良くしてくださいね」
 先生と共にクラスを訪れた俺は、恐る恐る項垂れていた顔を上げてみる。見渡しても、転校生の俺なんかに興味を示している人間はほとんどいないようだった。それが逆に俺にとっては安堵できる要因にはなったが、そんな陰湿な雰囲気すら醸し出している五年二組の教室の違和感を、なぜにそのときの俺は気づけなかったのか。
 その後は、教科書を渡されて普通に授業を受けたのだが、そこで仰天することになる。
 
「村岡新、算数のテストが0点だぞ。もっと勉強せにゃあかんじゃないか!」
 転校初日の一時間目に算数のテストを受けた俺だったが、そこでこれからの学校生活に戦慄することになった。
 算数担当の先生は年配のおじさんだったのだが、二時間目の最後にその人自ら壇上で俺のテストの点数をクラス中にぶちまけてきたのだから。一気にクラス中の視線を集めることになった俺は、穴があったら入りたいくらいの恥ずかしさで身を縮ませていた。
 頭が悪すぎて入る高校を探すのも一苦労だった俺だが、さすがに小学五年の算数はできるだろうと思っていた。
 しかし、ここは一流大学の付属小学校だということを忘れていた。
「お前…方程式知らないの?」
 隣の席に座る山崎という男子から、白い目を向けられる。山崎はこのクラスの会長を務めているやつで、休み時間には周囲を笑わせるのに余念がない、ムードメーカー的なところのある男だった。その山崎にコバンザメのように引っ付いているのが、後ろの席に座っている黒木という小さな男で、そいつが山崎の後ろでくくくと笑っているのが視界の隅に見えた。
 俺は俯きながらなんとかいい訳を考える。
「だって…、前の学校では習ってなかったから」
「あっそ。でもがんばらないと、あっという間に落ちこぼれるぜ」
 山崎はそう言うと、俺の教科書のページにへのへのもへじを殴り書きして、にやりと笑った。なんだよこいつ。
 つか、方程式って確か中学校で習うものじゃなかったか。いやいや、そんなことよりも、中学で習ったことすら頭から吹き飛んでいる俺のバカさ加減のほうが、相当ヤバイ。小学校なら勉強程度はどうにかなるんじゃないかと高をくくっていた俺だったが、それすら妹の新(今は真緒ということになるが)には勝てない領域だというのか。
 小学校の最初の授業早々、暗雲が立ち込めてきた気がする俺だった。

 三時間目は国語だった。転校生だということで、クラス全員の前で教科書を声に出して読み合わせた俺だが、何度となく読めない漢字につまり、クラスの失笑を買う羽目になる。
「彼は…責任を果たせたあ、あん……あん…あん……」
「安堵でしょ。これくらいも読めないの村岡さん」
 無意識に小ばかにしたような担任の言葉に、クラス全員がくすくすと笑う。教科書を持って立っていた俺は、顔が急激に火照るのを感じ、そのまま教科書で顔を覆いたくなった。
「あんあんあんって、エロいよな村岡ぁ」
 斜め後ろの黒木が大きな声でそんなことをいうものだから、クラス全員が大爆笑になっていた。
 安堵の意味はわかるけど、漢字で書かれるとさっぱりついていけない。日ごろから本を読むのが苦手な俺は、この手の漢字力がさっぱりなかった。だがしかし、ここの小学生はこの手の単語の意味もちゃんと理解しているのだろうか。
 思い切って、反対側に座っていた女子に声をかけてみる俺。
「安堵って意味わかる?」
 すると、教科書から顔を上げたのは、小学生にしては派手な顔立ちの美人タイプの女子で(母親が白人のハーフらしい)、後々聞いた名前は増永と言った。その女子は、俺をひとにらみすると派手な蛍光ペンを振りながら半眼で答える。
「それくらい、辞書で調べたらわかるでしょ」
 俺は恥ずかしさで顔を上げることができずにいたのだった。
 

 四時間目は理科の時間だったが、そのクラスでは酸素とCO2の実験をした。
 三角フラスコに石灰石を入れ、塩酸を入れると何かが発生するという実験だったが、実験中も塩酸の取り扱いにおろおろしていた俺を見て、グループの男子と女子が失笑を繰り返していたのは、まちがいではないだろう。俺はむっとして言い訳を繰り返す。
「だって、塩酸はあぶないんだよ」
 俺の言葉を聴いた増永は、呆れた風情で机の上に頬杖をつきながら言った。
「村岡さんの手つきのほうがあぶないんだけど」
 だったら手伝えよ!そう言いかけたとき、壇上の先生が突然俺に質問してきやがったから、困る。しかも、黒木が俺のスカートの裾を引っ張ったりしているものだから、俺はしどろもどろになっていた。
「転校生だってな。村岡、この実験で得たことを述べよ」
 すでに実験の意味すらわからなくなっていた俺は、慌てて答える。
「塩酸はあぶない…です」
 途端にくすくす笑いが教室中に広がるのがわかる。目の前の増永は腹を抱えて笑い出し、隣のグループにいた山崎率いるグループも、俺を指差しながら腹を抱えて笑い転げているのが目の端に見えた。なんなんだこいつら。
 先生は天を仰いで困った風情で答えていた。
「まぁ、確かにそうだが…。この実験は二酸化炭素を出すための実験だったのを、忘れたのかー村岡」
 赤面する俺にそう問いかけた先生の声など、いまだに俺のスカートの裾を引っ張り続けている黒木のおかげで俺の耳にはまったく入ってこなかったのだ。


 給食の時間は、なぜかいけすかない増永のグループで食べることになった俺。正直一人で食べるほうがましだったけど、これ以上浮いてしまうことは避けたかったし、クラスの女子リーダー的存在であるらしい彼女のお誘いを、断るのはまずいと感じたかだら。
 しかし、俺を誘った増永の目的が、そんな俺をますます孤立させる引き金になったことは確かだったのだ。
 
「村岡さんは初等科出身じゃないんでしょ」
 初等科というのは、この付属小の低学年の名称である。クラスのほとんどはその初等科を経て五年生になっているわけだから、俺のような中途組はほとんどいないらしい。しかも、ほぼ全員金持ちらしいことは、話を聞いていてなくてもなんとなくわかった。
 だって、校舎自体金がかかってそうだから。各教室には自動の暗幕が備え付けられているし(教室備え付けの巨大スクリーンを視聴するため)、各教室にミネラルウォーターまで完備されている。
 各教室にはベランダがあり、一年中色とりどりの花が飾られていた。
 俺は牛乳のパックをちゅるちゅるとストローで吸いながら、頷くしかない。増永は鼻で笑いながら、足を組んで周囲に聞こえるように話す。
「うちの学校は他の公立に比べて勉強速度が速いから、村岡さんにはきついかもしれないなぁ。初等科から勉強していれば、まだマシだけどぉ」
「がんばり…ます」
 俺は聞けるか聞けないかのようなか細い声を発して、目の前のメロンにかぶりついていた。なんと、給食にメロンが出ているのだ。家ではめったに食べることができないため、頭はメロンのことでいっぱいになっていた。
 そんな俺に増永は、自らのメロンをフォークで突き刺して掲げながらこう言ってくる。
「そんなにメロンおいしい?」
「うん」
「じゃ、あたしのあげるよ。給食のメロンっておいしくないんだぁ。うちはママが毎年産地直送のメロンを10個買うから、すぐ飽きるんだけどぉ」
 増永は、そうアンニュイにつぶやきながら俺の皿にぞんざいにメロンを投げ落とす。それすら旨そうに食べ尽くす俺に呆れたのか、周りの女子全員が俺の皿にメロンを投げ込んでいた。なんだか施しを受けているような気になるが、メロンに罪はないしな。
 そして、増永は周りの女子にこう要望していたのだった。
「みんな、村岡さんの学校生活を手伝ってあげようよ。これ以上落ちこぼれにならないようにね」
 微妙に嫌味が混じっている気がするけど、気のせいだろうか。


 そして午後は体育の授業だった。ここ最近の小学校は男女同じような短パンだから大丈夫だろうと思っていたのに、なぜかこの学校の女子は全員ブルマ着用を義務付けされていた。俺も例外なく体育着とブルマを渡されて女子更衣室に閉じ込められることとなったわけだけど、新が根回ししていた女物の下着を着ていたおかげか、特に何も疑われることはなかった。
 ただ、周りの女子へ視線が行かないように、必死に念仏を唱えながら着替えること自体、かなりの拷問だったと言わなければならない。
 小学生とはいえブラジャーを着ていたり、かなり発育のいい女子も何人かいたからだ。俺だって一応健全な高校男子なわけで、女性の体を見るとついつい体が熱くなってしまう。
 増永もかなり発達している体型の持ち主だった。つか、ハーフだからか胸はDカップくらいありそうだし、身長だって俺よりでかい。そんな彼女が俺の目の前でフリル柄のブラジャーを見せびらかしながら、わざとらしくため息を吐くし。
「あー、ブラジャーがきついのぉ。また大きくなってるみたい」
 ううっ。これ以上妄想を膨らませるようなことを言うなよ。俺の股間がやばいだろーが。急いでブルマに履き着替えた俺が、慌てて上着を着ようとしかけた折、増永がふいに俺の裸の胸に触れてきたから死ぬほど驚いた。
「うわっ!」
「え!?」
 互いに目と目を合わせて一瞬沈黙し、お互いの胸をじっと見つめる。はちきれんばかりの増永の胸と、上着に隠された俺の平たい胸。増永の胸がつぶれんばかりに俺の胸を圧迫している。これはいったいどういう事態だ。
 彼女押しつぶされている自分の胸を見下ろしながら、意味不明なせりふをほざいていた。
「村岡さん…、全然胸出てないね。お尻も小さいし、ある意味すごい。どうすればそうなるの」
 どういう意味だよ。俺は腰を引け気味にしながら急いで上着を着ると、増永の視線から逃げ出すように更衣室を飛び出していた。硬くなりかけた下半身を隠すようにして。
 

 今日の授業は跳び箱だったのだが、これも大の苦手だった俺には拷問過ぎる授業だった。体は柔らかいが脚力のない俺は、跳び箱すら飛び越すことができない。4段以上は飛んだためしがなかったくらいだ。
 とてとてと走った直後に、跳び箱の上に座り込むなんてお手の物。それ以上に飛び箱の前で立ち往生、なんてことも何度もやらかしては、クラスの失笑を買ってしまっていた。
「村岡って本当何もできないんだな!」
 そんな胸をえぐるようなせりふを吐いたのは、会長である山崎だった。あまりのせりふにしばらく声も出なかった俺だが、なぜか黒木にフォローを入れられるはめになる。
「でも、スタイルと顔はそこらへんの女子よりいいじゃん」
 そんな黒木のせりふは、その場にいた女子全員の耳に筒抜けになっていたのは言うまでもない。
 そのとき、跳び箱を飛ぶ順番になった増永は、大きな胸を揺らしながら六段を余裕で飛び超え、体育座りをして縮こまっていた俺のほうをこれみよがしに睨むし。
 授業の後半、先生から個人指導を受けていた俺を遠巻きに眺め、増永は仲間と共にひそひそ話を続けている。その後も、まったく跳び箱が飛べなかった俺に対して、増永は憎まれ口を叩くのだった。
「村岡さんは運動もできないようだから、私たちが手取り足取り教えてやらないといけないみたいよ」
 どういう意味だよ!そんな増永の嫌味に、仲のいい山崎も頷いてこっちを見ている。小学生に面倒見てもらわなければならないほど、だめ人間なのか俺は。これまで散々新に指摘されたことがかなり現実味を増し、俺はますます俯き加減になって背中を丸めるしかなかったのだ。

 翌日から、増永と山崎をリーダーにした俺への親切という名のイジメが始まっていた。
 イジメのお約束なのか、とりあえず俺の教科書は隠され、トイレの便器の中に発見されることとなる。
 ページのいたるところに蛍光ペンで落書きがされていたため、絶対増永の仕業だろうと一大決心をし、彼女に文句を言いに勇気を奮い起こした俺がいた。すると逆に彼女が泣きだし、グループの女の子たちまで俺を責め始め、先生まで巻き込む大問題に発展してしまっていたが。
 
「ひどい!村岡さんのために一生懸命注釈を書いてあげたのに、捨てられていたのを私のせいにするなんて!」
 そう言って増永は、おいおいと泣き続ける。増永の友達たちは、ひたすら泣いている彼女をかばいながら庇護し、クラス全員が増永の行動をたたえながら、彼女のせいにした俺を暗に責めたてていた。
 じゃぁ、何か?便器に捨てた犯人は誰なんだ。俺は喉の奥でそう言いかけたが、先生がそれを遮る。
「もしかすると、村岡さんがまちがって便器に落としてしまったのかもしれないし。これ以上けんかはしないでね、ね」
 ……意味がわからない。俺が自分で教科書をトイレに落として、なんで増永のせいにするんだよ。つか、自分の教科書を便器に落とすという行為すら、おかしいじゃないか。
 そう言いたくても、若いのに事なかれ主義の先生は俺の言い返しをシャットアウトし、さっさと授業に戻る始末。
 そして、先生の見えないところで、女子同士がにやにやと笑いあっているのを、俺は見てしまっていた。
 そうか。これはイジメの幕開けなんだ。早速俺はこの手のものに狙われてしまったというのか。
 これまでにも何度か経験したイジメの標的に、またもやされた自分。引越しという一大チャンスと、妹と成り代わるというありえない境遇を得たにも関わらず、俺はこの手の気苦労から抜け出せない運命なのか。

 授業の合間の休み時間には、男子が俺のスカートをめくり始めていた。
 この年になって、まさか俺が標的になるとは予想だにできず、最初のスカートめくりだけは防ぎようがなかった。しかも、その第一弾をかましてきたのが山崎のやつで、俺の股間(女子用の下着着用)を目の当たりにした奴は、一瞬不思議そうな表情を浮かべていた。
 わわ、ヤバイ!!
 その後何度も繰り出されるスカートめくりをなんとか回避してきた俺だったが、廊下を歩いてた俺を山崎と黒木二人で端まで追い詰め、スカートの中に手を突っ込まれたときは、正直もう終わりだと思っていた。しかも、山崎の右手がちょうど俺のチンコの上を撫でてきやがったから、恐ろしい。とりあえず、その手を跳ね除けて一目散に逃げることができたため、その場での晒しはなかったのだが。
 しかし、それが山崎の疑問が後々大噴火する要因になるのだった……。


「うわっぷ!」
 翌日、廊下を歩いていたら突然中庭から水を投げかけられた俺は、その場で呆然としてしまう。
 中庭にいたのは女子が数名で、俺に適当に謝って走り逃げていった。よくよく自分を見ると、体中が土や緑色に覆われ、ぬるぬるしている。どうやら中庭の池の水をかけられたようだった。
 相当臭い。ひどすぎる。しかも、目に滲みてしまった為、洗い流す場所である女子トイレの場所がわからなくなっていた俺は、記憶を頼りに壁に沿って歩き続け、ようやくトイレらしく場所にたどり着いていた。
 スリッパを代えて中に入ろうとした矢先、女子の高い声と共に強引にトイレの入り口に連れ戻される。
「ヤダー!村岡さんってばぁ。男子トイレなんかに入ってどうするの!?」
 俺の肩を掴んできたのは、紛れもなく増永のグループの一人だった。しかも、直後に臭い臭いと連発し、身動きが取れない俺を隣の女子トイレに引きずりこんでいた。そのとき、女子は数人。中にはもちろん増永もいたと思うが、視界がクリアじゃなかったため、判然としない。
 しかも俺はまちがって男子トイレに入ろうとしていたようで、彼女らに引き戻されたのは運がよかったといえるのかもしれない(?)
「村岡さん、ちょー臭いよぉ。トイレで体も洗ったほうがいいと思うよ」
「あ、でも、ここのトイレってさっき掃除したばかりじゃん。村岡さんで汚すのもちょっとね」
「そうだ。いい所がある!」
 そんな女子の恐ろしい会話の後で、俺の体は冷たい床の上に強引に正座させられた。そこが和式トイレの個室であることに、頭から水をかけられた時点で気づく。
「便器と同じくらい今の村岡さんは汚いから、ここでちょうどいいよね」
 そんなことを言われながら、ホースの水を頭から叩きつけられる俺。吐き気と気色悪さと女子の行動に恐怖を覚えていると、体が思うように動かない。あわあわしながら便器から逃げ出そうともがいていると、強引に頭を便器に突っ込まれていた。
「村岡さんって…バカだよね」
「げほっ…、が…ほっ」
 バカって言うな。心の中は怒りに震えていても、女子小学生の力には全然かなわない自分。
「しかも、運動神経がないし。そんなんじゃ、この学校で生きてけないよぉ。かわいいだけじゃだめなんだから」
 便器に顔を突っ込まれながら、俺は背後からそんなひどい囁きを聞かされていた。本物の女子であるお前らのほうが、よっぽど気味悪いよ。男である俺のほうがどんだけまじめに女子になるとしているか、わからないだろうが。
 それにしても、性別と年齢を変えても、俺はやっぱり苛められるし、落ちこぼれてしまうのだろうか。兄としての誇りも自覚も持てないまま、誰とも馴染めないで生きていくしかないのだろうか。
 俺ってやつは……、そこまで出来損ないの人間なのかな。