0016 あしながおじさん

 
「ほら、遠慮しなくていいのよ。ちゃんと背負いなさいよ。折角プレゼントしてもらったランドセルなんだから。」
私立養護施設『愛花学園』のアルバイト職員松下愛花は、恥ずかしげに突っ立っている智輝の腕に無理矢理ランドセルの肩紐を通そうとした。
「や、やめろ、馬鹿っ!!
男の子なのに赤いランドセルを背負わされるという屈辱に智輝は園の講堂を逃げ回った。
「駄目でしょ、智輝ちゃん。先生の言う事は聞かないと。」
しばらくの鬼ごっこのあと、そう言って彼の前に立ちはだかったのはまだ今年小学六年生の芽依という少女だった。園ではリーダー格の彼女は大人びた口調で智輝を諭す。
「いい?私達はママやパパがいないから、園長先生とか愛花先生とか、その他沢山の人に支えてもらってここで暮らしているのよ。それなのに折角見知らぬ親切な人が下さったランドセルを素直に受け取れないの?智輝ちゃんは」
「だ、だって・・・・」
智輝は自分と背の高さの変わらぬ少女の目をじっと見る。その瞳は純粋であるだけに言い返す事が難しい。
「智輝ちゃんの気持が分からないんじゃないのよ。私だって一年生の時はランドセルが無くって、園の卒業生のお古のぼろぼろのを背負って通ったんだし・・・・」
芽依は五年前の事を思い出す。女の子なのに黒いランドセルを背負った彼女は当初小学校でイジメにあったのだが、持ち前の明るさと元気で今や児童会長まで務めているのだ。
「だから智輝ちゃんも分かってくれるよね。もらったのは赤いランドセル一つだけだし、今年進学するのは智輝ちゃんだけなんだから、あなたがこれを使わないと勿体無いでしょ?」
「で、でも・・・・」
「大丈夫よ。智輝ちゃんならきっと似合うから、誰も笑わないって」
いつの間にか後ろに立っていた愛花が彼の肩に手を当てて優しく言う。愛花はその名前からも分かる通りこの学園の設立者の一人娘で、まだ中学生ながら先生見習いとしてここで働いているのだ。
「ねっ、分かったらお利口だから手をちょっと後ろに伸ばしてみてね。」
「う・・・ううぅっ・・・」
二人の気の強い少女にサンドイッチにされ、智輝は仕方無く少しだけ腕の力を緩めた。
「うん、良い子ね」
その隙を逃さずに愛花はあっという間に、彼にその可愛らしい真っ赤なランドセルを背負わせてしまう。だが男の子の様な短髪に(事実男の子なのだが)赤いランドセルはやはり違和感を隠しきれず、芽依はぷぷっっと含み笑いを浮かべてしまった。
「わ、笑うなよっ!!」
「だ、だって!!」
頬を染めて恥ずかしそうにする智輝の姿を見て、芽依はとうとう腹を抱え込んで笑い出した。
「だって・・・・だって、もう高校生になる男の子が赤いランドセル背負ってるなんて、超笑っちゃうっ!!」
その言葉に智輝はランドセルの肩紐をぎゅっと握って全身を真っ赤に染める。
「まあいいじゃない。こんなに赤いランドセルの似合う高校生の男の子なんていないわよ。さっ、来週の高校の入学式にはこのランドセル背負っていきましょうね」
芽依までもが笑いを堪えるようにして囁きかけた。溜まらないのは智輝本人である。
「ちょ、ちょっと!本気で僕にこれを背負わせて高校に通学させる気なの!?」
「だって、仕方無いじゃない」
愛花は急に声色を変える。
「うちの規則じゃ、中学を卒業した児童は卒園して園の為に働いて恩を返すのがしきたりになっているのよ。それなのに斡旋してあげた就職先を一日で逃げ帰ってきて、お外は怖いからまだここにいさせて下さい〜、って泣いて頼んだのは誰かしら?」
「そ、それは・・・・」
「特別に高校卒業まで園にいさせてあげるから、しっかりとみんなの模範になるって約束したのは覚えてる?」
智輝は幼稚園児のようにコクリと首を縦に振った。
「じゃあ良い子だから出来るよね。高校の指定鞄だってランドセルと変わらない値段がするんだよ。園長先生が特別に取りはからってランドセルで通えるようにしてくれるって言うんだから、嫌がるどころか感謝しなくちゃ。ねっ、良い子の智ちゃんなら分かってくれるよね?」
小学生にそんな風に言い聞かされては智輝としてはもう何も言い返す事が出来なくなってしまった。彼は二人の少女に言いくるめられるように、赤いランドセル姿のまま突っ立っているしか無かった。

そして入学式当日。智輝の悲鳴が園にこだましていた。
「や、やだっ!絶対やだぁっ!!」
「仕方無いでしょ。園の予算が足りなかったんだから」
愛花が暴れる智輝を押さえ付けて、彼に晴れの日の洋服を纏わせていく。だがそれはどう見ても高校の男子制服などでは無かった。
「い、いやだぁっ!!」
「我慢なさい!みんな辛抱してるのよ!」
「そ、そんな、芽依のお古の制服なんていやだよぉっ!!」
吊り紐のついたプリーツスカートを足に通されようとして、智輝は足をじたばたさせて
それに抗う。だが幼い子供達の世話をしてきた愛花の方が何枚も上手だ。彼より遙かに大きな体格の彼女は、まるで小学校に登校するのを嫌がる娘にするように彼にその制服−芽依が通っていた公立高校の女児制服−を纏わせてしまった。
「ほら、これできっとランドセルも似合うわよ」
疲れ切って抵抗できない智輝の肩にそっとあのランドセルが背負わされる。さすがに丸襟ブラウスにイートンと吊りスカートといった制服との愛称は抜群で、短い髪を桜を象った校章のついた通学帽で隠してしまうと、彼はすっかりと女子小学生へと姿を変えてしまった。
「あら、やっぱり似合うじゃん」
そこに現れたのは真新しい中学の制服姿の芽依だった。彼女は自分より年上の女子小学生姿の先輩を見つめ勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ねぇ、私のお古の制服着れて嬉しい?」
「そ、そんな・・・・」
「ねえ覚えてる?私小学校に入学する時に、智輝お兄ちゃんのお古の体操着とか使わされたんだよ。そんときのあんたったら、年上面して『贅沢を言うな』なんて言ったの覚えてる?」
記憶にはあったが、智輝は覚えていない振りをして首を横に振る。
「あらそう?・・・・まあいいわ・・・・でも嬉しいでしょ?だってそれ、去年の児童会長が着ていた制服なのよ。ほら、ここに穴が空いてるでしょ?ここは生徒会役員のバッジを付けていたところなの。まああんたなんかには、この名札だけで十分でしょうけど・・・・」
「あっ!?」
いつの間に用意したのか、芽依は『碧空第三小学校』と書かれた名札を智輝の胸のポケットに付けてしまう。
「こ、こんなのいらないよ!僕は高校に通うんだから・・・・」
校名の隣にはしっかりと『一年二組しんたにともき』と書かれている。確かに彼が高校『一年』なのは事実だが、それだけ見ればどう見てもピカピカの小学一年生にか見えない。
「まあまあ、遠慮しないでお姉さんの言う事を聞きなさいって。ほら、早く出ないと入学式に遅刻するわよ」
「ま、待ってぇっ・・・・」
こうして彼はまたしても二人に言いくるめられて、恥ずかしいまま往来に連れ出されてしまったのだった。

「ねえ、なにあの子?・・・・」
「誰かの妹?それとも迷子かしら?」
「この学校に付属小学校なんて無かったわよねぇ?・・・・」
案の上、高校の門の前に来ただけで智輝は人目を引いて仕方無かった。
「でも、あの子ちょっとおかしくない?」
「うん、なんだか小学生の女の子には見えないよね」
「そうそう、まるで中学生の男の子が女装してるみたい・・・・」
「やだぁっ!!」
そんな声が聞こえ彼は心臓をバクバクとさせる。保護者代わりに突いてきた愛花はそんな彼に構わず手を繋いで校内へと歩みを進める。
「あっ!いたいた・・・あの子じゃない?」
そんな二人に近づいてくる怪しい影があった。
「あのー、こちら愛花学園の生徒さんでしょうか?」
スーツを着た可愛らしい女性が愛花に話しかける。
「はい、そうですけど?」
「よかったー。実はですね、私テレビ放送のものなんですけど、是非取材をお願いしたいと思いまして」
女性が話す間に、彼女の連れらしい男が肩に掛けたカメラを廻し始める。そのレンズは間違いなく智輝の姿を捉えていた。
「あっ!・・・あっ・・・あぁっ・・・・!!」
智輝はもう蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。状況が分からず戸惑う彼の前で女性は話し出す。
「はいこちらに『キュアラブフラワー』と名乗る女性からランドセルを貰った新一年生の女の子がいます」
アナウンサーはマイクを持ったまま顔を智輝に近づける。
「どう、そのランドセル?背負えて嬉しい?」
「あっ・・そ・・そのっ・・・・」
そんな事を聞かれても答えられる訳が無かった。だがキャッチーな台詞を期待していたアナウンサーは機転を利かす。
「えへへ、ちょっと照れちゃってるのかな?」
彼女はそう笑ってマイクのスイッチを一旦切ると、小さな声で言った。
「ねっ、これって生放送だから。嬉しいって一言だけ言ってくれるかな?」
智輝は心臓が止まるかと思った。今自分の恥ずかしい姿が全国のテレビに流されていると彼女はそう宣言したのだ。
「新しいランドセル嬉しいよね?女の子だもんね、赤いランドセル背負って小学校で一杯お友達つくろう・・・ね?・・・・」
そこであたりを見渡したアナウンサーはおかしな事に気が付いた。匿名の電話を受け取って取材に来た彼女だったが、今の今までここが小学校だと疑わなかったのだ。だが何事かと集まってきた生徒達はどう見ても高校の制服を身に纏っている。
「あ、あれ?」
驚く彼女のマイクを愛花が奪い取った。
「キュアラブフラワーの親切なお姉さんありがとうございます。おかげさまでこの新谷智輝君は高校に通う為にこのランドセルを使わせてもらう事が出来ました。貧乏な園ですので、この通り制服は園のお古のものしか着せてあげられませんでしたが、今朝智輝君は自分のこの姿をじっと鏡で見ておおはしゃぎで喜んでいたくらいです」
丸っきりのデタラメをポカンとした表情で聞いていた智輝の前に愛花はマイクを向ける。
「ほら、キュアラブフラワーのお姉さんにテレビを通じてお礼を言いなさい」
「い、いやっ・・・そ、そのぉっ・・・」
極限の緊張状態に置かれた智輝の口から呟くように言葉が零れる。
「そ、そのっ・・・キュ、キュアラブフラワーのお姉さん・・・あ、あたしにラ、ランドセルを・・・ありがとう・・・・」
もう男の子だとばれているのに、彼は必死に小学一年生の少女を演じようとする。
「あ、あの・・・あ、あたし・・・こ、こんなに、すてきな・・・ランドセル・・・とっても・・・う、うれしいよ・・・・・」
「制服もでしょ?」
愛花が小声で促す。つられるように智輝は声を絞り出した。
「そ、それから・・・・このせ、せいふくも・・・みんなとは・・・ちがうけど・・・とってもうれしい・・・です・・・・」
「園のお姉ちゃんにお礼は?」
「は、はいっ!・・・・め、めい・・・おねえちゃん・・・あ、あたしに・・・せいふくをゆずってくれて・・・あり・がとう・・・・あ、あたしも・・・めいおねえちゃんを・・・みならって・・・りっぱな・・・・いちねんせいになりますっ・・・・」
「そう。本当は智輝君は高校一年生の男の子なんだけどね」
愛花の言葉に皆がどよめく。アナウンサーはようやく我に返って愛花からマイクを受け取った。
「そ、そういうわけで、智輝君はクラスのみんなに可愛がってもらって、たくさんお友達・・・・いえ、たくさんのお兄さんお姉さんができるといいね」
頭を撫でられ、我に返った智輝の泣きそうな顔がテレビに映し出された。
「以上、中継でした」
放送が終わり、どう見ても彼らより年上にしか見えない愛花は、集まってきた新入生達に告げる。
「そういうわけで、みんなこの子を可愛がってあげてね」
女子を中心に黄色い悲鳴が上がる。男子達は年下とは思わずにスーツ姿の愛花に見とれているようだった。
「さあ、行きなさい」
智輝のお尻をポンと叩くと愛花は彼に背を向けた。
これで彼が高校で孤立する事は無いだろう。みんなに可愛がられる彼は、きっと卒業した暁には多少おかしな形でもお金を稼げる女の子になっているに違い無い。そしてその事実はきっと自分のサディスティックな欲望をも満たしてくれる事を彼女は確信していた。