天使達の悪巧み 第五章 二度目の入園式
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あの日から半年以上が過ぎた。
男子高校生が女子小学生の格好で小学校にて授業を受けさせられるという、およそ現代日本で考えられる中、最大の恥辱を莉緒が受けたその日から。
だが不思議な事に莉緒の生活に大きな変化は無かった。それ以降和葉が女装を要求してくる事も無かったし、恐れていた真琴や優子からの脅迫も無かった。
莉緒にしては奇妙に思えたが、無理にこちらから藪を突く事も無い。彼はいつかのように再びあの事を夢の様に思い、受験という日々に埋もれていたのだった。
それはまさに飛ぶような日々だった。まるで丸一日の記憶が飛んでしまったような日を重ねながら、彼はあっという間に受験の日を迎えた。
しかし現実は残酷だ。莉緒は志望校に受かる事無く浪人が確定し、一方の母親は単身赴任の任期が大幅に伸びてしまったのだ。あの日受けた恥辱がまだ始まりだったことを莉緒はこれから嫌というほど知ることになる。
4月。昨日までの寒さもどこへやら、すっかりと春らしくなった屋外の景色を眺めている莉緒の部屋に和葉が飛び込んできた。
「お兄ちゃん、大変なの!」
一瞬莉緒はデジャブを感じたが、彼の自己防衛回路はそれを打ち消した。
「なんだよ、騒々しいな。受験生の邪魔するなよ」
「何いってるの。窓からボーっと景色を眺めてただけの癖に。それに受験生じゃなくて浪人生でしょ?」
「う、うるさいな!」
痛いところを突かれて莉緒はごまかす。
「大変って、いったいなんの事だよ」
「そうそう、忘れるところだったじゃない」
和葉は舌をちょろりと出して悪戯っぽく笑った。
「お兄ちゃんの入る学校が決まったのよ」
「は?」
「だから、お兄ちゃんの通える学校が見つかったの。もう受験勉強なんてしなくてもいいの」
「お前、頭大丈夫か?」
莉緒は回転椅子をくるりと回して和葉の方に向き直る。
「嫌味ならもうたくさんだ。俺は志望校を全部落ちたんだし、義務教育じゃないから大学は試験を通らないと入学出来ない。それとも何か?お前のコネで俺を裏口入学でもしてくれるのか?」
和葉は口に手を当てて考える振りをして言った。
「うーん、まあそれに近いかな」
「はぁっ?」
益々意味が分からず莉緒は眉はハの字に曲げる。
「中学生のお前にそんなコネがある筈ないだろ。いい加減勉強の邪魔だから出ていけよ」
「優子ちゃんって覚えてる?」
「!」
不意を突かれて莉緒の呼吸が一瞬止まる。
「覚えてない筈ないよね。あんなことしてもらったんだもんね」
莉緒は動悸が高まり足が震え出すのを止める事が出来なかった。和葉はそれを面白そうに見たまま続ける。
「その優子ちゃんのね、父方のお母さんが園長をされてるの。あっ、園って言っても動物園とかじゃないのよ」
園ということは、学校法人○○学園とかだろうか。恐らく教師一家なのだろうなと莉緒は嫌な予感を感じながらも想像した。
「つまり優子ちゃんのおばあさん、真琴のお姉さんの旦那さんのお母さんって事になるんだけど、その人がね、一人欠員が出来たから急遽入学・・・入園っていうのかなを許可して下さるらしいの」
「冗談・・・だよな?」
「冗談なんかじゃないわよ。私だって真剣にお兄ちゃんの将来を心配してるのよ。だって大してランクの高くない大学を全部落ちちゃって、今の様子をみている限りでは来年だって怪しいもんだもの。私将来引きこもりの兄貴を持つなんて嫌よ」
「そこまで言うか・・・俺だって頑張ってるんだよ」
「でもね、お兄ちゃん」
和葉は少し真剣な表情で言う。
「母子家庭のうちにとっては、それって大変な事なのよ。いつまでもママに甘えている年齢じゃないでしょ」
それを言われると莉緒は肩身が狭かった。何しろ、今現在家事全般まで和葉の世話になっており、彼は風祭家のお荷物そのものなのだ。
「じゃあ話だけ聞いてやるよ。どんな大学なんだ?」
「良かった。乗り気になってくれたのね」
「話を聞いてからだ。俺だって将来の目標くらいあるんだから、希望の学部が無い大学なんか嫌だからな」
「大丈夫大丈夫。希望も何も、お兄ちゃんに選択肢なんか無いんだから」
「何?」
和葉は口の端を吊り上げて笑う。
「ううん、こっちの話。だけどお兄ちゃん何か勘違いしてるよ」
「何をだよ?」
「大学とか学部とかって、私さっきから『園』って言ってるじゃん」
「だから『学園』だろ?もったいぶらずに学校名を言えよ」
「ひよこ」
「ひよこ?」
「そう。ひよこ」
「ひよこって、あの黄色い奴か?」
「そっ。にわとりの子供ね」
少し躊躇してから莉緒はもう一度聞き返した。
「ひよこ大学・・・ひよこ学園なんてあったか?」
「何言ってるの、あるじゃない。しかも近所に」
「お前やっぱり俺をからかってるだろ。もういいよ、俺は勉強に戻る」
「ちょっと待っててよ。証拠を持ってくるから」
「証拠だって?」
一度部屋を出た和葉が手に持ってきたものを見て莉緒は青ざめた。
「ま、まさか・・・」
「そう。見覚えあるでしょ」
和葉の手に持たれたのは鮮やかな黄色をした肩掛け用のバッグ。その表面の目立つ場所には可愛らしいひよこを象った園章。そのロゴにはしっかりと『幼』の文字が刻まれていた。
「ひ・・・よ・・・こ・・・って・・・」
莉緒の口から零れ出た小さな嗚咽の様な声に和葉意気揚々と応えた。
「うん、ひよこ幼稚園だよ。お兄ちゃんは今日からひよこ幼稚園に通えるんだよ」
あの日受けた恥辱がまだ始まりだった事に莉緒はようやく気がつかされたのだった。
「ば、馬鹿を言え・・・どうして俺が・・・第一、高校を既に卒業した俺が幼稚園なんかに入れる・・・」
そこまで言って莉緒は口ごもる。数ヶ月前に和葉と真琴は大人顔負けの段取りを持って自分を陥れたのだ。
「心配しなくていいよ。手はずは完璧だから」
それも聞いた覚えのある台詞だった。利の足は小刻みに震え始める。
「い、いやだ・・・」
「ん?」
「いやだ・・・いやだからな!いくらなんでも!よ、幼稚園な・・・んかに・・・」
「ふーん」
馬鹿にしたような声で呟くと和葉は莉緒の顔を覗き込んだ。
「いい加減聞き分けの無いこと言うのやめようよ。前回で学んだと思ったんだけどなぁ」
もう隠すつもりも無いようだった。和葉は八重歯をちらつかせて続ける。
「取引なんて私も面倒なだけなんだからさぁ」
そう言いながら彼女は「ひよこ幼稚園」指定鞄から一枚の写真を取り出した。
「わかるよねぇ。もう高校も卒業したんだもんねぇ」
「あっ・・・あぁっ・・・」
莉緒は声も出なかった。それはあの日、小学校の教室で女の子の制服を着た自分が優子に「可愛がられてる」写真だった。
「まだまだあるんだよ。もちろん音声とかもね。『優子ちゃんの妹になりますぅ』って自分の声聞きたい?」
「うっ・・・うぅっ・・・うぅぅっ・・・」
涙が出そうなのを莉緒は必死に堪える。
「じゃあ分かるよね。高校を卒業したお利口な莉緒ちゃんだもんね。断ったらどうなるかくらい想像つくよね」
「お、お前・・・一体何が目的で・・・」
「目的?そんなのどうでもいいじゃない。まあ私だけじゃなくって、みんなが楽しんでるのは事実だけどね」
楽しい?ただそれだけの為に自分はこのような恥を甘受しなければならないのだろうか。莉緒は纏まらない頭でそんな事をおぼろげながら考えていた。
「じゃあ着替えようか。入園式に遅刻しちゃう」
もう何を聞かされても驚かなかった。莉緒はようやく自分には選択肢が無いことに気がつかされてしまったのだった。
「相変わらず小さいおチンチンねぇ。優子ちゃんも握るの大変だったでしょうね」
この間の小学校事件よりも更に幼い下着、女児向けキャラクターがフロントにプリントされたパンツを穿かしながら和葉は楽しそうに呟く。
同じキャラのスリーマも小柄な莉緒にはぴったりだった。莉緒は真っ赤になりながらもおそるおそる訪ねる。
「し、下着は着たけどさぁ・・・上着はどうすんだよ・・・いくらなんでも僕のサイズに合う制服なんて・・・」
「まぁっ『僕』に変わっちゃったんだ。可愛いの」
和葉はクスクス笑う。
「ど、どうでもいいだろ!やっぱり無理だよ!私服で通える筈無いし。お前の企みとやらもここまでだな」
必死にそう言った莉緒だったが、和葉は微笑を浮かべたまま言った。
「私がそんな手抜かりをすると思う?」
そう言って和葉が見せたのは見覚えのある、ひよこ幼稚園の女児制服だった。
「ま、まさか・・・本当にそんなものまで・・・」
見れば明らかにサイズは大きく、普通の児童用の物では無い。しかし、大きく垂れ下がった可愛い丸襟のついたグレーのジャケットと、薄いグレーと赤色の混じった吊りスカートはどうみても『ひよこ幼稚園』女子制服に間違い無い。
「へへーん。特別仕立てだよ。園長先生に頼んで特別にあつらえてもらったんだ」
莉緒は絶句した。
「あっ!でも心配しなくていいんだよ。サイズだけが特別なだけで、他の園児達の制服を造ってもらってる同じ業者さんに頼んだから、生地も仕立ても全く他の園児達と同じ制服だよ。莉緒ちゃんだけ違う制服だって虐められないように頑張ったんだから感謝してよね」
一気にそうまくし立てると和葉は鼻をぴくぴくとさせた。だが莉緒にとっては逆のその事実は他の小さな子供達と同じ物を着せられるという屈辱感を一層与えるだけだった。無論和葉はそこまで考えていたのかもしれない。
「ほらほら、早く着てみせてよ。ママは可愛い園児の莉緒ちゃんがみたいな」
「ママ?」
「そうよ。変?」
莉緒はもう逆らう気力も無かった。黙った吊りスカートを手に取る。
チェックの吊りスカートは小学校の制服よりも更に幼い感じがし、ブラウスを着た型に吊りひもを掛けると、その丈は膝上遙か上になってしまった。
莉緒は次に意を決してジャケットを羽織る。ジャケットの袖口は小さな子でも脱ぎ着しやすいようにゴムのギャザー式になっている。
園の制服を上下一式身につけた莉緒は身長こそ少し大きいものの、可愛らしい園児に変身してしまった。
「すごいすごい。莉緒ちゃんの年齢キャパにはホント関心するわね。これなら保育園でもいけるかもよ」
和葉が妙なほめ方をするが、もちろん莉緒にとって嬉しいものでは無かった。
「じゃあ仕上げにこれね」
莉緒はたっぷりとフリルのついたハイソックスを穿かされ、先ほどの通園鞄をたすき掛けされる。最後に赤いリボンが可愛らしい通園用の帽子を被らされると、もう莉緒の姿は『ひよこ幼稚園』の園児以外の何者でも無かった。
「おっと、これを忘れちゃだめね」
真っ赤になった莉緒の左の襟に、和葉はチューリップの形をした名札を付けてやる。そこにはもちろん「りお」と名前だけが書かれていた。莉緒はそれを見て屈辱的な気分に陥ったが、裏面に「保護者:風祭和葉」と書かれている事を知ったら更に彼は落ち込んだだろう。
「じゃあ行こうか」
数分後、保護者然としたピンク色のスーツに身を包んだ和葉を見て、莉緒は彼女が本気であると言うことを改めて確信した。だがご丁寧に用意してあった通園用の可愛らしいストラップシューズを履いた時点で彼の足は立ち止まる。
「どうしたの?入園式、遅刻しちゃうわよ」
そう言われても足はガクガクと震える。小学生の格好で外出させられた事はあるが、まさか幼稚園児の、それも女児の姿で往来に出るなど悪い冗談以外の何物でもない。しかも安っぽいコスプレなんかとは違い、帽子から制服まで全て園指定のものを着せられているのだ。
「幼稚園に行きたくないって言う子供は多いって言うけど、初日からこれだと思いやられるわね」
だが和葉が黙って許してくれる筈も無かった。莉緒は力強く手を引かれて春の日差しが眩しい外の世界に連れ出された。だが次の瞬間、甲高い声が彼の耳に聞こえる。
「わぁ可愛い!入園式かしら!」
運悪く登校中の女子中学生が玄関の前を通り掛かったのだった。二人組の彼女達は始めにこやかに莉緒の姿を見つめたあと、何かの違和感に気付いた。
「な、なんか凄く大きい子だね・・・」
莉緒の顔が火照る。その様子に何かを感じ取ったのだろうか。女子中学生達は足早に学校へと急いでいった。
『やっぱり・・・幼稚園児になんて見える訳無い・・・』
前回の小学生の時はある程度は女子児童に見えなくもなかっただろう。しかしいくら莉緒が小柄だとはいえ幼稚園児として通用する訳も無い。外に出た途端にその事実を思い知らされ、莉緒は益々全身を震え上がらせた。
「大丈夫だよ、最近の子供は発達がいいから」
和葉が慰めるように言うが、苦笑混じりのその声は莉緒をからかっている事が明白だ。
「さっ、手をつないで」
いつかと同じように莉緒は引っ張られるように強引に屋外に連れ出される。通園棒を目深に被るが、それくらいではとても胸のドキドキは収まらない。
女子小学生の振りをさせられた時に比べれば、赤いランドセルや黄色い通学帽が無いだけ目立たない筈なのにこの恥ずかしさはなんなのだろう。うつむき加減で歩く莉緒は履かされたピンク色のストラップシューズに頬を染めながら現実逃避するように自己分析を繰り返していた。
「今日は一緒に行ってあげるけど、明日からは通園バスだからね。一人でちゃんと行けるかな?」
冗談とも本気ともとれない言葉が和葉の口から零れる。まさか日常的に幼稚園に通わせられるとは考えられなかったが、制服指定品一式を揃えてくる行動力を考えると、莉緒にはあながち絵空事とも思えなかった。
よく知った道を歩き幼稚園を向かう。ちょうど通学・通勤時間だから人通りは少なくなく、その誰もが奇異な親子の姿を珍しそうに、また微笑ましげに振り返った。
「懐かしいでしょ、この小道」
「えっ?」
和葉に言われ、莉緒は思わず顔を上げる。壊れかけたブロック塀。空を埋め尽くすような手入れされていない庭木。そこから差し込む春の日差しが莉緒の記憶を呼び覚ます。
『りお、あんたは我が家で一人の男なんだから、しっかりしなきゃだめよ』
女の子にいじめられ、泣きながら母親に連れられて帰った・・・そんな記憶が不意に莉緒の脳裏によみがえった。
「幼稚園から帰るのはここを通るのが近道なんだよね。覚えてるでしょ?」
「う、うん・・・」
ふと手を握っているのが和葉ではなく母親のような気がした莉緒は自分が過去に戻ったかのような錯覚にとらわれた。
「さぁついたわよ」
しかしそんなものが幻想であることに莉緒はすぐに気付かされる。小道を抜けて現れたのは懐かしい建物だった。
『ひよこ幼稚園 入園式』
門の前にはそんな大きな立て札が掛けられ、若い母親に連れられた多くの園児達がその付近にたむろしていた。
「ほ、ほんとに行くの・・・」
当たり前だが莉緒のような大きな園児は一人もいない。いくら園長のお墨付きとはいってもこんな事が許されるのだろうか。
「今更何言ってるのよ。しっかりと願書出して手続きも済ましてるんだから胸を張って入ればいいのよ。ほら、だだこねてると今日からのお友達に笑われるわよ」
「あっ!ちょっと!・・・心の準備が!」
「そんなの後になさい」
仕方なく莉緒は和葉に引かれて園の中に足を踏み入れた。綺麗に整えられた花壇、色とりどりの滑り台やジャングルジムなどの遊具。壁に動物の切り絵が貼ってある園舎。そのどれもが視界のなかでぐにゃりと曲がる。
「ほら、綺麗な桜ね」
莉緒の気持ちなどお構いなしに和葉は上空を見上げた。不意に強い風が吹き、入園式を待っていたかのように咲き乱れた桜の花びらが莉緒の頭に降りかかる。
「あっ!」
自分の正体を隠す唯一の道具である制帽を飛ばされそうになった莉緒は、思わず大きな声を出して頭を押さえた。その声につられた一人の園児が莉緒を指さした。
「ママ見てぇ!大きなお姉ちゃんだね」
「まぁほんとね。随分大きな子だね」
「凄いね。年長のお姉ちゃんかな?」
「ううん。お母さんに連れられてるし、名札も真衣ちゃんと一緒の赤いのだから年少じゃないかしら。真衣ちゃん、もし一緒になったら仲良くしてもらうのよ」
「うん分かった。真衣仲良くしてあげる。だってあの子、大きいのにママにぴったりで甘えんぼみたいなんだもん」
莉緒はその声を聞き、つないでいる手をふりほどこうとしたが、和葉はしっかりと握ったその手を離さなかった。
「駄目よ、迷子になったら困るでしょう。『年少組』の莉緒ちゃん♪」
「今日から入園されるお子様はこちらにどうぞ!」
気がつけば莉緒の二度目の入園はすぐそこに迫っていた。